【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】


 昼休憩ももらえずにずっと働き続けていたのだから当然といえばそうだけれど、私も嫁入り前の女として最低限の羞恥心はもっている。

 分かっている。景久さんは大人だ。私も大人だ。大人は腹の音ごときであれこれと相手をいじったりしない。


「少し遠くなりますが、予約なしで入れる創作フレンチの店を知っているんです。ちょうどカキもおいしい時期ですし食事を済ませてから行きましょうか」

「……」


 非常にスマートな誘い方だがこれで彼が私の腹の音を聞き逃さなかったことが確定した。

 この狭い車内から逃げ出したい。
 私は羞恥に赤くなりながら答えた。

「いえ、母が……カレーを作ってくれているそうなので。……すみません」

 そもそも私は今日、夕飯は要らないとかそんなことは母に一言も伝えていないのである。それどころかむしろ出掛けにカレーが食べたい私とトンカツが食べたい弟でちょっとした口論になり、母がよりコストの高いトンカツを却下したことにより今夜の夕食はカレーに決定したのだ。ここで言いだしっぺの私がカレー派の母を裏切るわけにはいかない。

「急にお誘いして申し訳なかったですね。
 ですが、あなたと少し話をしたいのです。お母様には僕から説明と謝罪をさせていただきますので、今日は僕に付き合ってくれませんか」
 
 彼はそう言いながら、もうすでにハンドルを切って高速に乗ろうとしている。
 ちょっとまて。私は同意していないぞ。

「いや、ちょっと景久さん?」

「少し落ち着いてから、大事な話をさせていただきます。まずはお食事を」

 彼の横顔を見ると、彼はいつもの穏やかな表情でいる。けれど、どこかに冷たく傲慢な感情の気配を感じる。

 『エベネーザ・スクルージ』……。


 彰久の言葉がよみがえり、私は急に景久さんが怖くなる。
 明日のスポーツ新聞の一面には『無職女性の遺体、山中で見つかる』などという見出しが躍るのではないだろうか……。


 ちょっとおおおお、冗談じゃないわよ、私はまだ死にたくない!!

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