【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】


「は、はいっ」

 慌てて文を開くと、中には流れるようなきれいな草書で何事か書きつけてあるが、あいにく私はそちら方面の教養は無いので一言も読めない。

「お返事を」


 文机を目の前に設置され、私は用意された紙を見つめる。先ほど説明を受けたとおり、きれいな桃色の紙の下にはお手本がちゃんと敷いてある。これをそのままなぞればいいらしいが、やはり一言も読めない。
 仕方なく言われたとおりに筆をとって文机に向かった。



 ……が。


 難しいのね毛筆って。

 まず筆に墨を含ませすぎたのか、紙の上にぽたりと黒い墨が落ちた。
 気を取り直して紙を取り替え、緊張の面持ちで筆を紙に滑らせたが思うとおりの方向に筆が進まない。さらに指定されたお手本の字も妙に細かく、子ども書道しか知らない私の書いた字は空白が墨で潰れているし、文字のカーブが上手く曲がらず、黒く太いギザギザの線が紙の上をのたくる悲惨なものとなった。
 何度書き直してもこれ。
 下に敷いた紙のとおりに写すだけ、それだけなのにそんな簡単なことが毛筆では上手くいかない。


 私の脇からその工程を緊張の面持ちで見つめていた女性は困ったような顔をしている。だがこの場面で一番困っているのはこの字を書いている私本人だ。いきなり普通の女子に高度な教養を求めないで欲しい。
 私は書きあがった返事の文をふうふう吹いて乾かし、傍らの女性に手渡した。


「すみません、これで精一杯です」

「あ……ま、まあ……お疲れ様でございました」


 彼女ももうこれ以上は文の返事に時間をかけられないと思ったのだろう、そのまま簾の外側に出て待っている女性たちにその文を渡した。


「はあ、終わった……。もう帰っていいですか。なんだか気疲れしちゃって」


 痺れきって感覚もなくなった足をさすっていると、今日ずっと私についていた女性はくすっと笑った。彼女の目じりに優しい皺が刻まれる。難しい顔をしているときはいかめしい感じさえあったのに、笑うとほっこりと優しい顔だ。


「当代の巫女さまは面白い方でございますね」

「当代の、ってことは先代の巫女さまもご存知なんですか」

 彼女は頷いた。


「はい。先代の巫女さまと現在の御当主、孝昌さまの妻問いのときも私がお手伝いをさせていただきました」

「そうなんですか」

「もう二十年も前の話でございます」


 彼女は懐かしむような目つきになって部屋の中を見回した。


「あの時はこんなにいいお天気ではございませんでしたね……。
 先代巫女さまは儀式の間中ここにじっと座っていらしてお寒かったろうと思います。
 先代巫女さまはずっと袖の中で手をこすり合わせておいででした。
 そうしたら突然お文のお返事をお待ちになっているはずの孝昌様がこちらにストーブをお持ちになって」

 彼女は袖で口元を覆って笑った。

「佐和子様……これは先代の巫女さまでございますが、佐和子様は大人しい方でしたので寒いともいえずにこらえているだろうからと仰ったのですよ」

「へえ、ラブラブだったんですね。
 先代の巫女さまとご当主はもともと恋人同士だったんですか」

「……孝昌さまは北条の長男というお立場で、元々当主となるべく生まれついた方でございましたから、孝昌様がまだお小さいうちに巫女さまはすでに決まっていました。佐和子様はもう一歳になるかならぬかのうちに孝昌様の巫女さまと決まっていましたので……おそらく、お付き合いはございましたでしょうね」

 ふうん……。普通はそうなのね。

 そりゃそうか。北条の当主は代々朱雀を祀る家の娘としか結婚できないとあらかじめ決まっているなら、はやめに許婚を決めて本人たちの自覚を促しておかないと、何も知らない当主や巫女さまにそれぞれ恋人でもできたら別れるだの駆け落ちだのといろいろ悲劇が起こるものね。
 この人と結婚するんだよと大人たちに小さいうちから言い聞かされて育っていたら、本人たちもそれなりに心構えも出来ているだろう。

 景久さんの場合はたまたま先代の巫女さまである佐和子さんが若くして亡くなって、現在の当主の跡取りである彰久はまだ17歳で結婚できないから当主のお鉢が回ってきたってだけで、もともとは当主になる人じゃなかった。だからこんなに慌しく朱雀の家出身で、しかも未婚である女、私を捜して確保する必要があったんだわ。朱雀を祀る家は年々少なくなってきているし、元々選択肢の少ない中から未婚で成人している女といえばもう選ぶ余地は無い。

 私はたまたま恋人もいないからよかったようなものの、そうじゃなかったらこの結婚だって随分もめただろう。
 好きな人がいながら別の人と結婚するのと、好きな人もいない、結婚の予定もなく30を過ぎようとしている状態で結婚をするのとは気持ちの上では天と地ほどの違いがあるものね。

 一人でそんなことを考えて頷いていると、ふと景久さんのことが気になった。


 私は……政略結婚の中でも心理的な部分ではまあ軽傷だと思うけど、景久さんは?彼は私よりも年下だし、男性の平均結婚年齢から考えれば少しはやめの結婚になるけど、好きな人はいなかったのかしら。恋人は……?
 私と違って彼はイケメンだから恋のチャンスは私よりも多かっただろうと思うんだけど。



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