【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】




 私はタバコくさい店内で夕刊をホチキスで綴じている。夕刊が届くとすぐにこうして新聞がばらばらにならないように綴じるのも私の仕事のうちの一つだ。


「姉ちゃん、冷コーひとつ」
「はい」


 驚いたことに、この店の常連客はアイスコーヒーを冷コーと呼び、そして私を姉ちゃんと呼ぶ。すでにアラサーの私を!姉ちゃんとよぶのだ!!

 初めてそう呼ばれたときは相手が60代のおじいさんだとわかってはいても心がときめいたわ。
 一ヶ月前、スーパーのお菓子売り場で販売をしていた時は、たむろする子どもたちにオバチャンと呼ばれていたのに、ここでは私は「姉ちゃん」である。
 きっとここは長い間私の探し求めていた職場に違いない。仕事は単調だし時給も680円と、いろいろ言いたい事も無いではないが、でもきっとこれは私の天職なんだわ。

 うーん、やはり派遣会社に紹介してもらう職場よりも自分の目と足で探した職場のほうが雰囲気に馴染みやすいのかもしれないわね。それに、派遣会社を通さずに探したバイト先で働き出して一週間、未だに景久さんは私の職場を突き止められないようで、例のお迎えはぴたりとなくなった。きっと派遣会社にスパイがいたに違いない。


「マスター、アイスワンお願いします」

 厨房に向かってそう声をかけ、夕刊と朝刊を取り替えようとしていると、店のドアが開いた。

「あー足が疲れた」
「だねー」

 一組のカップルが入ってきた。男のほうは子どもを抱いているので、彼らは夫婦かもしれない。

「いらっしゃ、」


 そう言いかけて私は大きく目を見開いた。
 ほっそりとしたからだと長い髪。少しつり気味の大きな瞳。

 私はその女性客の顔に見覚えがあった。

 それは向こうも同じだったらしく、彼女は笑みを浮かべた。


「あ、美穂じゃん」

 私は曖昧な笑みを浮かべて会釈をした。

「あ、どうも……」


 彼女の名は石田えみこ。

 学生時代、彼女はクラスの中でも一、二を争うオシャレな子で、男子にも人気があった。本人もそれを自覚していて行動は常に派手だった。

 そして私はといえば、この容姿だからおしゃれでもなければ目立つほうでもなかった。唯一私がクラスで人の耳目を集める時といえば定期テストの前後くらいなものという、絵にかいたような田舎のガリ勉少女だった。


「久しぶりー!え、美穂メガネやめたの?」

 彼女は今にも笑い出しそうな顔をして私の顔を見つめた。

「何、知り合い?」

 傍(そば)の男が問いかけると、彼女は楽しそうに話し始めた。

「そう、同じクラスでね、こーんなビン底みたいなメガネをかけてたの!あだ名は……なんだっけ、そう、メガネザル!!」


 くっ……。人の過去をべらべらと。

 そうよ、確かに私はメガネをかけていたわ、ビン底みたいな分厚いヤツをね!でもそれがなんだっていうの?目が悪ければメガネをかけるのは当たり前でしょうよ。文句ある?


「お席にどうぞ」


 私は接客用の笑みを浮かべて彼女を誘導した。
 クソ女が。あんたが学年一かっこいいテニス部の岡田くんと付き合いながら、こっそり鳥羽男子のバスケ部エースと二股してたの、知ってるんだからね!
 クッソ、今も若干私好みのワイルド系イケメンを連れているじゃないのさ。ああくやしい腹がたつ。
 腹がたつのでトイレに一番近い席に座らせてやる。

 えみこは席に案内されると、短いスカートからのびたきれいな足を高々と組んで煙草に火をつけた。
 赤ちゃんがいるのにいいんだろうか。私は子どもを生んだことがないからわからないけれど。

「ご注文は」
「あんたさあ、たしか東京の大学に行ったよね。W大学だっけ」

 彼女の連れの男はそれを聞いて小さく口笛を吹いた。
 その時、私の背後で店のドアにかけたベルが小さく鳴る音が聞こえた。また来客だ。「いらっしゃいませー」と接客中の私に代わってマスターが応じる。


「あの、私忙しくて」

 言いかけたけれど、彼らは私の都合など気にせず話を続ける。

「ヘェ、天才じゃん」

「そ。頭いいのよこの子。
それがどうしてこっちで喫茶店のバイトなんかしてんの?ここ、ずっと貼り紙だしてたよね。時給680円だっけ?」


 その言葉にはかすかな嘲笑がこめられているような気がした。


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