【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】


「あ……今、実家に帰ってて」

 彼女は私の胸につけてあるネームプレートをみて意地の悪い笑みを浮かべた。私の名前が旧姓のままであることに気付いたのだ。
 この田舎町で30歳をすぎても名前が旧姓のままというのは、女としては完全に負け組扱いをされてしまう。


「ヘェ、高校時代、休み時間にまで単語帳をめくって、カラオケも合コンもパスして勉強して、その結果時給680円?
 苦労してるねえ。あんた母子家庭だもんね。お母さん、ずっと漁港と北条デパートでパートしてたし。さっさと結婚して親を安心させてあげりゃいいのに、なまじ頭がいいと夢を見ちゃって大変だね」


 私は学生時代から彼女が好きじゃなかった。

 正確には彼女の属するオシャレな女の子のグループが嫌いだった。将来のことなんて何も考えていない、計画も無い、ただ人にうらやまれるような男の子ばかり追い回している。そんな女の子達。
 当時、私は彼女たちみたいな生きかたは愚かでくだらないと思っていた。顔にこそ出さないものの、男の子ばかり追い掛け回してオシャレにしか関心がない彼女らを内心軽蔑していた。こういう子達のせいで、「女に学はいらない」と地元の男たちが堂々と口にするのだとまで思っていた。

 そういう批判的な私の感情は多分彼女たちにも伝わっていたのだろう。彼女たちもまたガリ勉の私を嫌って、たびたび意味もなく私をからかった。

 社会に出て大人になって、私も人にはいろんな生き方があることを知った。容姿がきれいな子はそれを武器にするし、頭のいい人はそれを、何もない人はせめて努力を。あるいは不遇で、人には無い才能を持っていてもそのまま誰にも見出されずに埋もれてしまう人だっていた。

 人生は残酷で、そして容赦がない。どんな人にも必ず高波はやってきて、必死で生きている人をあるいは飲み込み、あるいは浜に押し戻す。苦労なしに人生を生き抜くことなんかできやしない。どんな生き方が賢いとか、愚かだとか論じるのはそれこそもっとも愚かなことなのだ。

 今、私は学生時代の自分が発した彼女への軽蔑を、えみこの皮肉という形でわが身に受けている。

 十年前、私は彼女を軽蔑していたのだもの、それがこういう形でわが身に返ってきたって自業自得……なんだけど、素直にそれを受け止められるほど私は大人ではない。実際、腹の中は煮えくり返っている。接客中でなかったら口論になっていたところだ。

 学生時代の私は確かに男の尻ばかり追い掛け回している彼女を見下してはいたけれど、だからって彼女を公然と皮肉るような真似はしなかったと思うわよ?それに、ウエイトレスだって時給は安いけれどだからって立派な仕事よ、ちゃんとやろうと思えばそれなりに神経だって使うんだからっ!

「プライドばっかり高い優等生がウエイトレスねえ……。マキにも教えてあげようっと」

 彼女はふふん、と私にいやな笑みを向けてふうーっと細く煙草の煙を吐き出した。煙の先にまだ年端も行かないわが子が座っていようとお構いナシだ。
 全くいやな女である。うわべは友達ぶって話しかけてくるからことさらに感じが悪い。さっさと注文をとってこいつらのそばから離れよう。

「ご注文は?他にもお客さんがいるんだけど」

 その時、声が上がった。


「美穂さん、少しいいですか」

 柔らかく優しいその声には覚えがあった。私は思わず眉間に皺を寄せて振り返った。
 嫌な予感は当たるものだ。

 そこには商店街の喫茶店の客層とは明らかに違う、都会的で洗練された男が居た。

「か、景久、さん……」


 今の会話、聞かれていただろうか。
 私は恥ずかしさに全身が燃えるように熱くなるのを感じていた。


「お仕事は何時に終わりますか。少し相談があるので時間を作ってください」


 彼は真っ赤になっている私に気付いていないのか、それともそういうことにかまう気はないのか、いつもと変わらない様子で話しかけてくる。


「あ……の、どうして私がここで働いていること……」

「またその話ですか。情報源を漏らすような真似を僕がするとでも?
 それで?
 何時に終わるか教えてくれないならマスターと直接交渉してあなたの時間を買い戻しましょうか」


 私はその提案に大きく目を見開いた。せっかく見つけたバイトなのだ。また失うようなことになっては困る。

「やめてください。バイトは4時に終わります」

 彼は腕時計をちらと見た。これまたイヤミなほど高そうな時計である。


「4時、つまり16時ですね。ではその時間にまたお迎えにあがりますので、残業があったとしても断ってください。では」


 彼は用件だけ手短に言うと、そのままコーヒー一つ注文せずに出て行ってしまった。

 マスターはあからさまに高級品ばかり身につけたビジネスマン風の男が気になるのか、私が彼について説明するのを待っているような様子だ。
 マスターはいつもの仕事をしながらも私の様子をチラチラとうかがってる。そしてそれはこの店の常連客及び石田えみことその連れも同様だった。


 しかし、私は彼らの好奇心を満たしてやる気はない。
 三千万で戸籍を汚したなんて知れたらえみこにさらに笑われそうだもの。自ら墓穴を掘るようなまねはしたくないわ。

 私はあえて周囲の好奇心に気付かないふりをして、店の裏口においてあるおしぼりを取りに行った。



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