【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
私は彼の手を振りほどき、肩から五つ衣をはずした。絹製の衣は重いわりになめらかで、つるりと私の肩から落ちた。そしてそのままの勢いで立ち上がり、彼に背中を向けた。
「美穂さん、待ってください。行くのですか」
「……私っ……。私、SNAPの三宮君のファンなんですっ……、だから、今夜は三宮くんと過ごしていると思って、朝まで過ごします……。
景久さんも私のこと、好きな人の名前で呼んでくれてかまわないですよ。私、気にしませんから」
私は赤い袴の紐を勢いよく引いた。変に脱がされるよりも自分で脱いだほうが恥ずかしくない。
「美穂さん……」
景久さんの手が伸び、小袖一枚で寒さに粟立っている私の背中を抱きしめた。
「あなたの優しさ、生涯心に刻んであなたを敬い、愛します。
僕を選んだこと、いつか正解だったと思ってもらえるように務めます。
ですからどうか……、」
彼の手に、その女性的な容姿からは想像がつかないほどの力がこもり、私は次の瞬間、柔らかい衾の上に押し倒されていた。
「……あのっ……」
彼は衾(ふすま)に手をつき、動揺している私の唇を閉じるように私の唇に押し当てた。
景久さんの柔らかい栗色の髪が灯明の光を受けて彼の顔に優しい影を落としている。
その美しい大きな瞳に、かすかな欲望がともっている。
改めて彼の中に潜む男性を感じ取り、私は今まで知らなかった彼のあらたな一面に驚く。防衛本能だろうか、納得してこの婚儀に臨んだはずなのに、私の手がぎゅっと彼の腕をつかんでしまう。
「……今夜はこらえてください」
かすれた囁きは毒のように、甘く私の肌に染みとおり、私の思考を停止させる。
私はぎゅっと堅く目を閉じた。
再び彼の唇と私の唇が重なった。彼の唇から小さく息が漏れ、私の唇は小刻みに震えた。
キスなんて今まで何度だってしてきたし、怖いことなんて何もない。分かっているのに、まるで中学生の頃に戻ったみたいだ。心臓が壊れそう。
自分でも自分の幼さにあきれてしまう。
彼はちょっとはにかんだように笑って私の腰紐をひきながら、また一度私と唇を重ねた。
今度は初めの口づけとは違い、彼は私そのものを味わうように、震える私の唇を舐(ねぶ)った。
彼の衣に焚き染(し)めた品の良い香りが私を包み、私はまるで自分が源氏物語の登場人物にでもなったかのような気分になった。
まるで、こうして口付けを交わしている二人が、自分と景久さんでは無いような気がしていた。
自分ひとりだけ助かろうなんて、そんなひどいことは出来ない。私以上にこの家に縛られて生きなければいけないこの人を置いて逃げるなんて、できない。
景久さんを置いていけないという私と彼の、この家に残して出てはいけないという気持ちは明らかに同種のものに思われて、私は彼と私が同じ思いを抱えて生きているのだと感じた。
私と彼の間に、絆らしきものがあるとすれば、それはきっとそのつかみどころの無いこの気持ちだけ。
多分、私は逃げるという決断からも逃げただけだったのだろう。
この時はまだ、私は自分のすべきことがなんなのか、私がなぜ運命に引き寄せられて景久さんと夫婦となったのか、ちゃんと理解してはいなかったのだ。