【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
「お待たせしました……」
私はやっと用を済ませてトイレから出た。
耳を塞げと言っておきながら景久さんの片袖は私が握り締めていたのだから、彼が私の例の音を耳にしたのは確実だろう。残念なことに、幽霊怖いで脳が停止していた私はそのことに用を済ませてから気がついた。
「誰もいないといったのに、まだ怖がっているのですか」
「絶対に誰かいましたよ、家捜しをしたわけでもないのにどうして誰もいないと断言できるんですか」
私が涙目で景久さんをにらむと、彼は少し困ったように笑った。
「気の強い人かと思っていたのに、怖がりなところもあるんですね」
気が強いとは心外だ。私はそりゃ、一人で東京に出て地元の男どもに生意気だの何だの言われたが、本当の私は気が強いどころかむしろ控えめで繊細な大和撫子である。
景久さんは私の何を見て気の強い女だと認定したのであろうか。全く理解できない。
「私は気が強くなんか、」
そう言いかけたとき、突然彼に手を引かれた。
気がつくと私は彼の腕の中に抱きしめられていた。彼は男の人らしい骨ばった手で私の背中を優しく撫でた。
「怖がることはありません。僕が傍にいますから。
もし誰かがこの本殿に居たとしても、僕が必ずあなたを守ります」
耳の傍でそう囁かれ、私はついほっと肩に入った力を抜いてしまう。
こんな事はただの言葉でしかない。実際に誰かが襲ってきたとして、この人にいったい何ができるんだろう……。
頭はそう警告を発するのに、私の中にある女の本能が小さく呟くのだ。男の人に守られるのって気持ちいい、と。
その気持ちのよさに比べたら、いるかもしれないしいないかもしれない侵入者のことなんて、ついどうでも良くなってしまう。
「夜明けまでもう少し時間があります。寝所に戻りましょう」
夜明け直前に、彼は出て行ってしまう。朝まで巫女さまと婿さまが寝所で共に過ごすことは非常にはしたないこととされているらしい。夫婦が朝寝をむさぼって何がいけないのかさっぱり分からないが、これもしきたりというヤツなのだろう。
私はそれまでのわずかな時間を惜しんでしまう。この何もかも完璧な婿さまと一緒にいることが恥ずかしいくせに、そのくせ……私はふとした瞬間に自分の立場も忘れて彼に寄りかかってしまいそうになるのだ。
悔しいことだけれど、私はもうすでにこの時、自分の夫となった北条景久に心を射抜かれていたのだろう。