【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】




 二日目の夜も滞りなくコトは終わった。

 すうすうと隙間風の抜けるような本殿の広さがそう思わせるのだろうか、私はやはり部屋に誰かがいたような気がした。けれど、景久さんにそれを訴えても相手にされないのがわかっていたので言わなかった。

 三日目は婚儀の最終日だった。この日は人の気配などは何も感じなかった。景久さんは初日同様、日の出直前に一人でひっそりと本殿を出る。

 きっと、緊張のせいで神経が過敏になっていたから、誰かがいるような気がしたのだろう。

 結局、私は謎の気配をそう結論付けた。だって侵入者があったにしては何もなさ過ぎる。何かが盗まれたわけじゃないし、行為をのぞかれたわけでもない。
 ただ、誰かがいた気配を感じた。それも一瞬。というだけの話なのだ。
 気のせいだとすると、本気で怯えて損した気分だ。



 景久さんが帰ったあとの本殿で、私は大きく伸びをした。

 数日続けて夜明け前に起きたせいで、すっかり早起きの習慣がついてしまった。
 じっと衾(ふすま)に包(くる)まって寝ているのも退屈なので、私は本殿の中を探検することにした。
 いや、探検というと語弊があるな。私はここの当主夫人として、この本殿のチェックをするのだ。だって、いくら巫女さまが昔の作法どおりの生活を求められるとはいえ、おまるがトイレだなんてひどすぎるわ。


「ここを快適にするには冷蔵庫がいるわね、それに、テレビとパソコン、火鉢を全廃してエアコン、床暖房設置必須……と」


 私は清潔に磨き上げられた本殿の廊下を歩きながら指を折って改善点を数えた。火鉢以外の暖房が何も無いので、喋ると室内にいるのに白い息が上がる。


 ふと顔をあげると、東の空が白々と明るくなり始めていた。
 次第に明けてゆこうとする夜空に紫の雲がたなびいているさまは本殿の建物の美しさと相まってまさに絵巻物の世界だ。

 そんな美しい景色を残しておくのも大事だが、しかし一方でトイレが無いのは困るわけで。
 電気や水道を引いてきたら、この景色は台無しになってしまうかしら。

 そんなことを考えていると、廊下の突き当たりにすらりと背の高い人影が見えた。白い着物を着たその姿は遠目に見ると、すらりとした立ち姿がどことなく景久さんに似ていたけれど、よく目を凝らせば彼ではなかった。


 真っ白な狩衣に真っ白な袴を着けたその人は私に気付くとゆっくりと振り返り、静かな笑みを浮かべた。


 関係者以外の立ち入りを禁じている本殿にいるということは、榊さんの息子さんかしら。


 私は軽く会釈を返しながらそう考えた。
 榊さんの一家は代々この家の巫女さまにお仕えする家と決まっており、朱雀様の祭祀を行う巫女さまを一族あげてサポートしてきた、らしい。


 「おはようございます。いつもお世話になっています」


 私は巫女さまらしくそう声をかけた。
 彼は小さく頷いてはにかんだような笑みを浮かべた。


 白い狩衣の青年は、ぱっと見た限りでは年の頃二十代半ばだけれど、笑みを浮かべると、その笑みがあまりにも無垢で、子どものように清らかなために、ぐっと若く、十代半ばのようにも見える。
 彼はまだ男性というには若すぎるのか、女のように線が細い。いや、つややかな黒髪を長く背中のあたりまでたらしている様子は背の高い女性にも見える。狩衣姿だったので無条件に男性と判断したけれど、もしかしたら女性なのかもしれない。


「こんな朝早くからお疲れ様です。今日でやっと婚儀も終わりですね」


 そう口にしてから、私はしまった、と顔を赤らめた。
 榊さんの家の人ならば、婚儀がどんなものなのかよく知っているはずだ。私が婚儀で具体的にどんな役割を果たすのかも。

 彼は慎み深い性格なのか、私の挨拶を聞いても動じる様子を見せず、静かに目を伏せた。
 その時、彼の額にかかっていた髪がさらさらと肩に流れ、きれいな肌に引き攣れたような痕が残っているのが見えた。事故か何かだったのだろうか。よく目を凝らせば額から耳の脇、ここからでははっきりしないが、たぶん頭から首にかけて痛々しい痕がひろがっている。

 彼は私が彼の傷に気をとられている間も私の顔をじっと見つめていた。たぶん、私の不躾な視線にも気付いていただろう。
 今さらその不躾な視線を詫びていいものか量りかね、私は彼の目線から逃げるように目を伏せた。


 どうしよう、気まずい。何か話をしなくちゃ。けれど焦れば焦るほど言葉は出てこない。



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