【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
私が戸惑っている間にだんだんと夜が明け、朝の透明な光が私の足元に伸びてきた。
「……あの、すみません、」
名前を、そう言おうと顔を上げたとき、彼はまるで朝の光にかき消されてしまったかのように跡形もなく消えてしまっていた。
足音も衣擦れも聞こえなかった。いや、私が聞かなかっただけなのだろうか。
「あの、榊さん?」
廊下の突き当りから外をのぞいて声をかけても誰も答えない。人の気配さえ無い。
私がジロジロと見たから怒って帰っちゃったのかな……。
ああ、私、どうしてあんなことをしてしまったのだろう。人の身体的な特徴を遠慮なくジロジロと見るなんて。
額から首にかけて、痛々しく広がった引き攣れの痕。もしかしたらその傷跡は背中や胸にまで及んでいたのかもしれない。そんな大きな傷跡を見たことがなかったし、それに彼の、性別すら分からないような静かで生々しさの無い雰囲気が独特で……つい目が離せなかった。
傷跡が醜いとかそんなことは微塵も感じなかったけれど、でも見られたほうは絶対にいい気持ちでは無いだろう。
私は自らの無礼な振る舞いを恥じて、思わず自分の額を手で叩いた。思ったより景気のいい音がして、しかも痛かった。
あの人、傷ついてなきゃいいんだけど……。
「巫女さま、」
そう声をかけられるまで、私はしばらくその場でじっとしていた。
「巫女さま、美穂様」
はっと顔を上げると、榊さんが私の肩にコートを着せ掛けてくれていた。
「どうなさいました、こんな端近にお出ましになって」
「……榊さん、私、あなたの家の人に会ったわ。
たぶん、息子さん、かな……?」
榊さんは怪訝そうに首を傾げた。
「この本殿の敷地内に、男性……ですか?そんなはずは……。
たしかに婚儀をお世話させていただくのは榊家の人間に限られておりますが、しかし巫女さまのお傍に上がれるのは女性のみと決まってございます。
私には確かに息子が一人おりますが、北条デパート勤めで北条家の祭祀には関わっておりません」
「そうなの?」
「ええ、この本殿は婿様と北条家の女性以外は立ち入りを禁じられております」
私ははっと息をのんだ。
「白い狩衣の、背の高い男の人名なんですけど、本当に知りませんか?」
彼女は眉根を寄せで考え込んだ。
「昔から、本殿の入り口には警護の侍を配備して一晩中巫女さまをお守りするのが慣わしでございまして、今では侍ではなく警備員を配置して、侵入者は本殿に入れないようにしております。
ですからたとえ榊の一族であろうと女人以外は本殿に入れないはずでございます。
もし、誰か邪なものが入ったのであれば朱雀様のお怒りは相当なものでございましょう。ですが……このように澄み渡った空でございますし、朱雀様もお怒りではございませんし……」
彼女はそこで言葉を濁した。夢でもご覧になったのではございませんか。
彼女の目はそう語っていた。