小春日和
眠る気がなくても、人は肉体的または精神的に疲れていれば眠れる。
眠る前からそんな気がしていたけど、夢の中には春が出てきた。
妙な夢だった。
ひたすら、春の「あの時」の視線だけが水中にいる私に注がれていた夢。
夢では水の中にいたはずなのに、目が覚めた私の体はベッタリと濡れていた。
(変な汗かいた。暑い…)
寝相が悪かったらしく、肩につきそうなほど伸びた髪が弧を描いて跳ねていた。
閉めきって眠った部屋の中は息苦しくて、自分の髪や肌の匂いで溢れかえっている。
すぐに窓を開けて外の空気を入れた。
5畳半程の自室から一歩踏み出す。
床より体温が高いことをハッキリと意識したのは初めてだった。
ペタリ、ペタリと床に僅かな足あとが残っていく。
トースターにパンを入れて、汗を流すために風呂場へ行った。
家の風呂場には正面に大きな鏡が付いている。
なんの面白味もない体をシャワーを浴びながら眺めていて、ふと、気づいた。
起きた時からあった違和感。
身体がいつもと何か違っていた。
汗、以外に。
鏡を見てわかった、と言うより、鏡を見て身体を意識したからわかった。
私はそれが汚い気がして、ボディーソープを付けた手で全身を洗った。
確かな違和感は泡と共に流されていった。
支度を済ませて家を出るのは7時半。
それは丁度家の目の前のバス停にバスが来る時間。
バスに乗って20分、降りて徒歩5分で学校に着く。
まだ少し交通量が少ない道路と、ほぼ貸切状態のバス。
家に居ても外に出ても、私の世界は静かで穏やかで…どこか孤独だ。
春の存在が、私自身にそれ程大きな影響を与えるとは思えない。
けれど、朝のあれはおそらく彼女が原因だ。
だとしたら
…彼も、原因なのだろうか。
降りるバス停に着いて席を立った時、頭に残っていたのは彼女ではなく彼だった。
言いようのない感情が悪寒と共に喉まで競り上がってくる。
春の顔が、無性に見たくなった。