小春日和
心臓の音が耳の奥で響く。
見るものを射るような彼女の瞳を真っ直ぐ、目を逸らさずに捉えたのは久しぶりだった。
というのは、彼女の瞳が捉えているのが私ではなくなったからだ。
隣の彼が対象なのがわかっていても、今だけはここを動きたくない。
例え、彼女に【邪魔だ】と思われていても。
付属品として映り込むだけでもいい。
少しでも長く、この視線を浴びていたいと思った。
「っ‥…花宮、どうした?」
彼の一言で変化する場の空気は、彼女しか見ていなかった私にも感じ取れた。
彼女しか見ていなかったから、より敏感に感じ取ったのかもしれない。
『花宮』と名を呼ばれただけで顔色を変える。
嬉しそうにしたのに、一瞬で悲しそうに目線を落とす。
彼女の変化の少ない表情に魅力を感じた私にとって、これ程衝撃だったことはない。
同時に、彼女から香り立つように溢れてきた女の顔に袖から出ている腕が泡立つ。
二人の親密な関係を匂わせるような、そんなサインを彼女からは見取りたくなかった。
…はずなのに、それがあまりにも魅力的過ぎて目が離せない。
冬は目を泳がせながら明らかな作り笑いをした。
「お昼ご飯、いつもの場所で待ってたのに来なかったから…」
風に吹かれる髪を治すふりをして、掴んだ髪でさり気なく顔を隠す。
二人の視線は一度も合わなくなった。
わざとらしく他人行儀をする湊も、それを咎めようともしない冬にも苛立つ。
そして、入り込めなくなり邪魔者でしかなくなってしまった自分に苛立った。
「お弁当、食べてくるね」
どちらの顔を見ないまま階段を駆け下りた。
早くなっていく足の動きに心拍数が上がり身体が火照ってゆく。
無我夢中で走った。
階段の踊り場の真下にある空間に蹲った瞬間、溢れ出る汗とそれとは別の雫で吸い込む空気は海の香りに似ていた。
声は出なかった。
こうなると決って私は自分の部屋の枕に顔を埋め、獣にも似た声を上げているはずなのに。
闇の中、塩の匂い、水中…
溺れている、と感じた。