小春日和
「お母さん、私、変じゃない?」
駆け足で学校から家へ帰ると、お母さんが私に浴衣を手際よく着させてくれた。
浴衣は、お母さんが私のお父さんと初めての夏祭りデートで着たものだと、お母さんは着付けをしながら懐かしそうに話していた。
恋多き母の初恋の相手との子供が私。
話を聞いていて嬉しかったのは、お父さんの話をあまりしてくれたことが無かったからからだけではなく、お母さんが久しぶりにとても幸せそうな顔をしたからでもあった。
この時だけ珍しくお母さんが母親らしく、同時に、変な意味もなく女性らしく見えた。
「綺麗よ。ふふっ」
「やっぱり似合ってない…?」
「美人に決まってるわ。母さんの子だもの」
お化粧までしてくれるとは思っていなくて、完成した後自分を鏡越しに見つめると別人になっていた。
「帰りが遅くなるようだったら連絡してね」
「わかってる。……ありがとう、お母さん。行ってきます」
冬と話した夢話が現実になるとは思っていなくて、待ち合わせをした橋の上に辿り着くまで一人で歩く時間が妙に緊張する。
髪飾りが揺れて左耳を擽る。
無機質なそれは何処か冬の指先に似ている。
落ち着こうと思い辺りから聞こえてくる音に耳を傾けると、自然とあの日の回想を始めていた。
あの日だけでなく、彼女の全てが私の頭の中で映像となって繰り返されていく。
そうしていくうちに、考えは嫌な方へと徐々に徐々に進んでいった。
私は思い出さなくていい事を含めた全てを、そればかりゆっくりと思い出しはじめた。
(もしかしたら冬は来ないのかもしれない…)
全部私の妄想で、都合のいい夢だったのかもしれない。
履きなれない下駄からカランコロンと音が鳴る。
鳴っているはずなのに、足が重くてうまく踏み出せていない気がする。
(右に曲がって、川に沿って歩けばいいだけ…)
流れるともなく流れる川には、街のあちこちに吊るされた提灯の明かりがぼんやりと揺れている。
橋に近づくにつれて段々と人が増えてゆき、聞き慣れない声と見たことのない人達に私はあっという間に飲み込まれた。
なんとか橋の真ん中に付いて、端へ寄って足を止めてみると、屋台や提灯の光に照らされた人達がとても遠く感じられた。
いつもは誰も気にも留めないような街なのに、そこは絵の資料で見た異国の地よりも輝いて見える世界になっていたのだ。
手を組んだり、繋いだりしている恋人たちを眺めた後、自分の右側をふと見た。
思い返せば待ち合わせ場所は決めたのに時間を決めていない。
連絡をしようにも、私は冬の連絡先を知らないことに今更気づいた。
途端に力が抜け、私はその場に座り込んだ。
一息ついてみれば、途端に頭が冷えて落ち着いて周りを見ることができるようになったのかもしれない。
そう思って吐いた息は、蹲り光の閉ざされた私の足へと落ちて、再び私の元へ帰ってきた。
胸が余計に重くなる。
色めき賑わう祭りの風景が急に嫌になった。
それでも、逃げ出そうという気にはならない。
けれど、踞ったまま私は顔を上げられなくなった。