小春日和
顎に触れていた手が離れていく。
私は驚きのあまりすぐに反応することができなかった。
名前を呼ばれた、ただそれだけなのに戸惑って、何故か胸が熱くなっていた。
「なんで、名前…」
絞りだすように声を出しても、出てきたのは単語だけでまともに会話出来ていない気がした。
「正反対の名前だなと思って」
春と冬のことだ。
暖かい春と冷たく寒い冬は、たしかに正反対。
だからこそ魅力を感じている気もした。
『触れてはいけない』そう思うのに、彼女が持つ引力に引き寄せられている私は無意識に彼女を求めているようだった。
「…でも、冬の隣には春がいるものだよ」
冬の次には春が来るなら、ずっと、何があっても隣にいる気がする。
花宮さんは何度か瞬きをして、笑った。
私は自分の言葉が恥ずかしくて手で顔を覆う。
その手はすぐに花宮さんの手で握られて、私の視界には光が戻った。
「素敵。私達の出会いが運命みたいね、春」
…その時、私の世界が本当に染変えられた。
胸が痛くて、苦しくて、繋いだ手の熱が体を焦がしていくようだった。
「冬、と、友達になりたい、です…」
考えるよりも先に口が動く。
それは途切れ途切れで、声は裏返ったりした。
生まれて初めて、『友達になりたい』と思った。
隣にいたいと、思った。
単純な欲が出たのだ。
外で振り続ける花弁が積もっていくように、私の中に何かが積もっていく感覚がしていた。
「え、嫌だ」
真顔でそんなことを言われたから、私は思わず声を上げる。
「わ、私もっ、断られるの嫌だっ」
必死になっている私を、教室にいる人達がきっと変な目で見ている。
それでもいい。
そんなことはどうでもいいと思っている自分に、誰よりも私自身が驚いていた。
必要最低限の関わりを持っていればいいと、自分からは絶対に近づきたくないと、そう思っていたのに…
私は、自分がわからなくなった。
「春」
冬が落ち着けるように繋いだ手を優しく揺らす。
「冗談よ。可愛いね、春って」
目を細めて笑う冬の後ろで、雪はまだまだ降っていた。
彼女の手に自分の熱が伝わる。
私の手に彼女の体温が伝わる。
それは、雪が手の中で溶けていく感覚に似ていた。
教室に先生が入ってきて手を話した後も、私は何度も彼女を見た。
彼女はずっと私を見ていて、視線が交わる度にからかうように意地の悪いような笑みを浮かべた。
激しく脈打つ心臓の音が耳の奥に響き続けて鳴り止まない。
冬の体温に変えられた指で耳を触ると、冷やそうとしたのにさらに熱が加えられた。
「春、体育館行くよ」
「…うん」
彼女に触ろうとした手には自分のスカートを握りしめさせた。
並んで歩いて行く私の足が浮足立っている気がして、また恥ずかしくなった。
体育館が少し遠いのが嬉しいなんて、本当に、どうかしている。
そんなことを考えながらあるいていると、気づきたくないことにも気づいてしまった。
冬に見惚れている人の視線。
冬は気にならないのだろうか?
私は落ち着きがなくなってしまって、視線を泳がせながら繰り返し彼女の顔色を伺う。
自分より少し上にある冬の視線の先には、何も映っていないような気がした。
教室で声をかける前と同じように、冬の瞳はずっと遠くを見つめている。
隣に並んでいることに違和感を覚えずにはいられなかった。
入学式の間、隣に冬は居ない。
誰が話しているのも気にせず、私はずっと冬のことを考え続けた。
頭から離れない。
楽しくて、ドキドキして
会話自体少なかったけれど、今まで話したことのある全ての人の中で、冬との会話は全然違う感覚がしていた。
『春』
凛とした、少し低くて透明感のある声はどこか色っぽくて……
「はー…」
また、体温が上がった。