HONEY*POISON ―甘い蜜には毒がある―

第3話  シュガー×スパイス



 土曜日は朝からバイトで、事務所に着くとまずはファックスを確認する。店舗から発注票が届いていれば、事務所にある食材を店舗に配送することになっているのだ。
 この仕事は社長代理が来る前からやっていたことで、意外と楽しいんだ。
 事務所には大型の業務用冷蔵庫が二台あって、その中にはこういう機会でもなければ見たり触ったりできないような食材が色々入っている。大きい食材もあって、その出し入れは力仕事だけど、飲食店(・・・)のバイトってカンジがしてやりがいがある。
 私は発注票と照らし合わせて漏れがないことを確認してからケースにしまい、入り口の近くに置いて、電話をかける。隣に運送会社があって、そこと契約して食材を運んでもらっているの。
 業者さんが取りに来るまで、デスクワークを片づけようと席に座って、その時点でようやく、まだ久我さんが来てないことに気づく。
 めずらしいな、いつもは私より早く来ているのに。
 そんなことを考えていると、開いたままの扉がノックされる。

「ちわー、集荷に来ましたー」

 そう言って現れたのは、隣の運送会社でうちを担当する森垣(もりがい)君、十九歳。彼とは同じ年ということで、バイトを始めてすぐに打ち解けて、こうして集荷で週に数回会って、親交を深めている。

「森垣君、おはよう」

「おはよう、葵生ちゃん。あれ、今日はあのイケメンの社長さんは?」

「んー、わかんない。まだ来てないんだ」

 私は苦笑して答える。

「そーなんだ」

「今日は、コレをお願いします」

 そう言って、さっきまとめた食材の入ったケースの前に立つ。森垣君は、持ってきていたカートにケースを乗せながら言う。

「了解しました。ねっ、ところでさ……今日の夕飯、一緒に食べない?」

 森垣君に夕食を誘われるのもだいたいいつものことで、時間さえあえば一緒に行くんだけど……

「あっ、今日はね……」

 そう言って今日の夕方の予定を思いだし、自然と頬が緩んでしまう。
 その時。森垣君の背後にすらっと背が高く、黒い細身のパンツに青いシャツとベストを合わせた極上のイケメンが、扉にもたれかかってこっちを見ていた。

「仕事中にナンパですか? 集荷が終わったらさっさとどいてくれないと、部屋に入れなんですけど?」

 そう言った久我さんが、極上の笑みを浮かべている。
 うぅ……怖い。

「おはようございます」

 森垣君は久我さんの殺気に気づいてないのか、礼儀正しく挨拶をして、手早くケースを積むと脇によける。

「はい、おはよう」

 言いながら久我さんは、すたすたと社長席に向かっていく。私はその姿を横目で見送り、こそっと、森垣君に耳打ちする。

「ごめんね。今日は予定があって。また、今度行こ」

 そう言って、私はそそくさと席に戻る。久我さんの小言が始まる前に、さくさくと仕事をしなければ……
 社長が入院してから、一週間。
 どうにか、久我さんの無理難題な仕事内容と量には慣れてきたんだけど、久我さんには慣れないんだよね。
 社長と二人きりの時は和気あいあいとした和やかな雰囲気だったのに、なんですか……久我さんと二人きりって、沈黙が重い。私語厳禁、みたいに久我さんは要点以外は話さないし、話すと言えば小言か嫌味ばかり。
 仕事は楽しいけど、この空気には未だに慣れない。
 手を動かしながら、ちらりと視線を久我さんに向けると、たまたまこっちを見た久我さんと視線があってしまった。
 私が慌てて視線をそらすと、久我さんは大きなため息を一つ。
 びくっ。これは始まる……

「なんですか、あなたは。ろくに仕事も出来もしないのに、ナンパなどされて浮かれて。仕事に集中出来ないのでしたら、帰って頂いて構いませんよ。そんな人に時給を払うだなんて、我が社の損益ですから」

 ほらきた! ねちねちインケンにいびるんだから……
 別に浮かれてなんかいないし、我が社の損益だなんて言い方……ひどすぎる。
 はらわたが煮えくり返る思いだったけど、ぐっと言葉を飲み込んで無視を決め込む。
 だって、言葉では久我さんに勝てないって、ここ一週間で学んだもの。言い返した瞬間は気分すっきりだけど、言い返すと、二倍三倍になって言葉の刃が飛んできて、私の心は修復不可能なくらいズタボロにされるんだ……
 だから、言い返さないことに決めたの。
 それなのに……

「ふんっ」

 って、鼻で笑うのよ!?

「言い返さないってことは、図星ですか。それならば……」

 久我さんが言いかけたけど、私の我慢は限界で。
 ばんっ!
 立ち上がると同時に、思いっきり机を叩いた。

「わかりました……」

 そう言った私を、なにが? って顔で久我さんが見返してる。

「私、このバイト辞めます――っ!」


  ※


 どんなにいびられたって、久我さんはそう言うだけの仕事もこなしているし、すごい立派な人だと思ってるから。
 多少インケンで陰湿でも耐えてきたのに……なに? ちょっと、ご飯に誘われたくらいで、ここまで言われなきゃならないの!?
 仕事ができないのは認める。だから、仕事に関して怒られるのは我慢できるけど、なんでプライベートにまで口出されないといけないわけ!?
 私は机の横に下げてた鞄を掴み、一目散に扉に向かった、んだけど……




 ぱしんっ!
 入り口につく前に私の腕を、久我さんが勢いよく掴んだ。

「なんですか?」

 振り返らずに、怒りにまかせて叫ぶ。その瞬間、ぎゅっと、掴まれた腕に力が込められて、眉間に皺を寄せる。

「痛っ、離して……」

 久我さんは腕を離すでもなく、何か言うでもなく、そのまま黙り込んでしまった。しばらくして、掴まれた腕を離され、赤くなった手首をさする。
 そのまま、事務所を出て行こうとしたんだけど……

「逃げるのか?」

 そう言われて振り向くと、久我さんは無表情で、だけど怒りを宿した高圧的な瞳で、私を見据えている。

「なっ……」

 その瞳に吸い込まれそうで、反論しかけた声を失う。

「本当のこと言われたくらいで、そうやって投げだすんですか、あなたは。そんなことをしていては、いつまでたっても、一人前に仕事を出来るようにはなりませんよ」

 私を見下す瞳が怖いのに、そらせなくて。
 じっと私をしばらく見た後、くるりと背を向けた久我さんは席に戻り書類をより分けていく。

「まあ、あなたが辞めてくれる方が、我が社にとっては有益だ。どうぞ、ご自由に辞めてくれて結構」

 そんな風に言われたら、言わずには言われなかった――

「逃げないわよ。久我さんに一人前だって、辞めたら困るって言われるような仕事をしてみせるわよっ!」


  ※


 夕方、都立病院の一室。

「社長! もう起き上がって大丈夫なんですか?」

「ああ、安静にしていれば問題ない。葵生ちゃんには迷惑かけたね」

「いいえ、社長が入院したって聞いて、心配で心配で……」

 そっと私の頭に触れて、優しく撫でてくれる社長に、涙が込み上げてくる。

「すまなかったね、葵生ちゃんには最初に連絡しなければならなかったのに、連絡が遅くなってしまって」

「いいえ、お元気そうな姿を見れて安心しました」

 昨晩、一通のメールが着たのだ。
 アドレスを交換してても、滅多にメールをすることがなかった社長から、どこの病院に入院してるのか、心配をかけてすまない、事務所のことをよろしくという内容のメール。昨日で精密検査が終わり一般病棟に移ったので、携帯が使えるようになったらしい。
 私はすぐに返信をして、今日の夕方病院にお見舞いに行っていいか聞いたのだ。




 ベッドの横の椅子に座って、社長が入院してから代理で来た久我さんのこと、事務所の様子など一週間にあったことを報告する。その話を聞いて、ベッドの背もたれに腰かけた社長が朗らかに大笑いした。

「はははっ、そうか、翔真とそんなことがあったか。あいつは、仕事熱心だが、人づきあいが苦手というか、物言いがはっきりしすぎてて、付き合いにくいだろう?」

「はい、それはもう……。だから、社長! 早くよくなって、早く戻ってきてくださいよ!」

「ああ、葵生ちゃんにそんな心配そうな顔をさせるのは辛いからね。今回は検査入院も兼ねてるから入院が長引いたが、来週には退院できると思うよ」

 その言葉に、ほっと安堵の息をつく。そんな私を見て、社長は目元を柔らかくして微笑む。

「どうだ、翔真は君に優しくしてくれてるかな?」

 私はゴクリと唾を飲み込み、膝の上に組んだ手をぎゅっと握りしめる。

「優しくなんか……ぜんぜんないです。口を開けばお小言ばかり、インケンで嫌味なんです! でも……尊敬できる人だとは、思います」

「そうか。これからも、息子と仲良くしてくれよ」

 にこりと微笑む社長が眩しいくらい良い顔してるから――嫌です、なんて言えなかった。


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