フィルムの中の君
『生きてください』
たったその一言が心に届いた。
迷いや躊躇いのない、真っ直ぐなその一言が。
トラップ大佐が振り返ると言葉通り真っ直ぐとマリアがこちらを見ている。
『諦めないで生きてください。亡くなった奥様や子供たちのためにも、そしてあなた自身のためにも』
2人が逃亡を決意するシーン。
映画や舞台では必ずと言っていいほど名シーンとして取り上げられる場面。
ナチスから無事に逃げられる保証は無い。もし捕まればそれこそ無事で済むわけがない。
それに逃げ切れたとしても今まで通りの生活が送れるだなんて確証もない。
(私には大切な子供たちがいる…)
舞台に流れる時間は数秒であったか、はたまた数分であったか。
短くてとても長いように感じられた。
セリフの一つ一つ、言葉の重み、そして何よりも舞台の世界が立体的になる。
ここまで観客を引き込める役者はそうそういないだろう。
『生きてください。
最後の最後まで、ご一緒します』
それが全てだと言わんばかりの言葉に会場中が息を飲み込んだ。
時が止まったかのようにその場の全員が呼吸さえ出来なかっただろう。
トラップは言葉に悩んだが、ふと晴れたような顔をしてマリアの目を見た。
『私と一緒に生きて欲しい。
君の言う最後の最後までずっと共に』
言葉無くして頷くマリア。2人はゆっくりとお互いの手を握る。
会場中が目を潤ませながら盛大な拍手を送り続けた。
それからしばらくして、トラップ一家はオーストリアを密かに出発した。
一筋縄ではいかないこともあったが、笑顔の絶えない家族だと風の噂で届いたそう。