ハリネズミに贈る歌
プロローグ
東京に来て初めての冬。クリスマスを前に浮き足立つ街で、私は彼に会った。
あれから五年が経ち、私は駅前の広場でアコースティックギターのケースを背負って立っていた。あと半年もすれば、ここには巨大なクリスマスツリーが立って、あたりを煌びやかに照らすだろう。彼の歌声が響いていた、あのときのように――。
「すみません」
ちょうど、帰宅ラッシュが近づいて、人通りがはげしくなってきたころだった。そろそろ、アコギをケースから出そうかというとき、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには緊張した様子で顔を強張らせた青年がいた。ライオンのたてがみのように金髪を逆立て、首にはジャラジャラと重そうなチェーンのネックレス。そんな目立った格好をしているのに、顔立ちは気弱そうで、自信無げ。そのギャップが微笑ましくて、まるで必死に背伸びする中学生の男の子を見ているような気分になった。
「どうも」ぺこりとお辞儀をし、私は顔にかかった髪を耳にかけた。「今夜も来てくれたんですね」
「え」と、彼は気の良さそうな垂れた目を見開いた。「俺のこと、知ってるんスか?」
私は微笑み、うなずいた。
名前は知らない。でも、彼の顔はすっかり見慣れたものになっていた。ここで路上ライブをするようになってから半年、毎週、見ていた顔だもの。
必ず現れて、人だかりのちょっと後ろのほうでじっと聞いている。決して、前に来たりはしなかった。ふらりと現れ、ふらりと消える。いつもそんな感じだった。だから、こうして話しかけられて驚いた。
「話しかけていただけるとは思ってもいませんでした」
彼は恥ずかしそうに視線を逸らして、ぎこちなく笑った。
「ちょっと聞きたいことがあって」
「聞きたいこと、ですか?」
「いつも、最後に歌う曲、ありますよね。あれ、なんて曲なんですか? すげえ好きで……」
「ああ、あれですか。気に入ってもらえて嬉しいです」
「いえいえいえ」
金のたてがみを揺らして、彼は首を振った。そのさまが可愛らしくて、つい頬がゆるんだ。
「あれは、初めて自分でつくった曲なんです」
「初めて? すごいっスね。ラブソング、ですよね」
「そう、ラブソングです」
私はふいに、彼の後ろを流れていく人の波に視線を向けた。
「DEAR MY HEDGEHOGです」
「ヘッジホッグ……って、ハリネズミ、ですか?」
肩透かしを食らったように、彼はきょとんとしてしまった。
「ハリネズミ、飼ってるんですか?」
「いいえ。ハリネズミっていうのは……」
言いかけたときだった。
「工藤さーん!」
彼の背後で、セーラー服を着た女の子三人組が駅のほうから駆けてきた。彼を押しのけ、私の前に並んで座り込むと、「間に合った、間に合った」と口々に言って、爛々と輝く若々しい瞳を私に向けてきた。
もうそんな時間か、と腕時計をちらりと見やった。
彼女たちが来るのは、ちょうど七時ごろ。私がいつもライブを始める時間だ。わざわざ、この時間に合わせて来てくれてるのか。それとも、偶然、彼女たちの帰宅時間と私のライブの時間がぴったり合っているのか。それは分からないけど、こうして毎週、一番最初に来て、最前列に座って聞いてくれる。
「始めないんですか?」
不思議そうに見上げる茶髪の少女に、私は「そうだね……」と言葉を濁した。
ちらりと彼に視線を向けると、彼は私の視線に気づいたようにハッとしてから、「どうぞどうぞ」と言いたげに手を動かして頭を下げた。
せっかく声をかけてきてくれたのに、話が途中になってしまった。申し訳ない、と思いつつも、彼女たちを待たせるわけにもいかない。それに、ここでこの時間に歌うことが私のこだわりであって、願掛けみたいなものだった。
私も彼に軽く頭を下げて、「じゃあ、始めようか」とギターを構えた。
今夜もこうして、私は歌う。彼がいたこの場所で。彼が歌っていたこの時間に。彼と同じアコギを鳴らして。いつか、彼がまたここに現れる日を夢見ながら。この歌に立ち止まってくれることを祈りながら。この歌が彼に届きますように、と自分でも本気かどうか分からないはかない願いを胸に。
今夜もこうして、あの人にこの歌を贈る。私にこの声をくれた、あの人に。
あれから五年が経ち、私は駅前の広場でアコースティックギターのケースを背負って立っていた。あと半年もすれば、ここには巨大なクリスマスツリーが立って、あたりを煌びやかに照らすだろう。彼の歌声が響いていた、あのときのように――。
「すみません」
ちょうど、帰宅ラッシュが近づいて、人通りがはげしくなってきたころだった。そろそろ、アコギをケースから出そうかというとき、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには緊張した様子で顔を強張らせた青年がいた。ライオンのたてがみのように金髪を逆立て、首にはジャラジャラと重そうなチェーンのネックレス。そんな目立った格好をしているのに、顔立ちは気弱そうで、自信無げ。そのギャップが微笑ましくて、まるで必死に背伸びする中学生の男の子を見ているような気分になった。
「どうも」ぺこりとお辞儀をし、私は顔にかかった髪を耳にかけた。「今夜も来てくれたんですね」
「え」と、彼は気の良さそうな垂れた目を見開いた。「俺のこと、知ってるんスか?」
私は微笑み、うなずいた。
名前は知らない。でも、彼の顔はすっかり見慣れたものになっていた。ここで路上ライブをするようになってから半年、毎週、見ていた顔だもの。
必ず現れて、人だかりのちょっと後ろのほうでじっと聞いている。決して、前に来たりはしなかった。ふらりと現れ、ふらりと消える。いつもそんな感じだった。だから、こうして話しかけられて驚いた。
「話しかけていただけるとは思ってもいませんでした」
彼は恥ずかしそうに視線を逸らして、ぎこちなく笑った。
「ちょっと聞きたいことがあって」
「聞きたいこと、ですか?」
「いつも、最後に歌う曲、ありますよね。あれ、なんて曲なんですか? すげえ好きで……」
「ああ、あれですか。気に入ってもらえて嬉しいです」
「いえいえいえ」
金のたてがみを揺らして、彼は首を振った。そのさまが可愛らしくて、つい頬がゆるんだ。
「あれは、初めて自分でつくった曲なんです」
「初めて? すごいっスね。ラブソング、ですよね」
「そう、ラブソングです」
私はふいに、彼の後ろを流れていく人の波に視線を向けた。
「DEAR MY HEDGEHOGです」
「ヘッジホッグ……って、ハリネズミ、ですか?」
肩透かしを食らったように、彼はきょとんとしてしまった。
「ハリネズミ、飼ってるんですか?」
「いいえ。ハリネズミっていうのは……」
言いかけたときだった。
「工藤さーん!」
彼の背後で、セーラー服を着た女の子三人組が駅のほうから駆けてきた。彼を押しのけ、私の前に並んで座り込むと、「間に合った、間に合った」と口々に言って、爛々と輝く若々しい瞳を私に向けてきた。
もうそんな時間か、と腕時計をちらりと見やった。
彼女たちが来るのは、ちょうど七時ごろ。私がいつもライブを始める時間だ。わざわざ、この時間に合わせて来てくれてるのか。それとも、偶然、彼女たちの帰宅時間と私のライブの時間がぴったり合っているのか。それは分からないけど、こうして毎週、一番最初に来て、最前列に座って聞いてくれる。
「始めないんですか?」
不思議そうに見上げる茶髪の少女に、私は「そうだね……」と言葉を濁した。
ちらりと彼に視線を向けると、彼は私の視線に気づいたようにハッとしてから、「どうぞどうぞ」と言いたげに手を動かして頭を下げた。
せっかく声をかけてきてくれたのに、話が途中になってしまった。申し訳ない、と思いつつも、彼女たちを待たせるわけにもいかない。それに、ここでこの時間に歌うことが私のこだわりであって、願掛けみたいなものだった。
私も彼に軽く頭を下げて、「じゃあ、始めようか」とギターを構えた。
今夜もこうして、私は歌う。彼がいたこの場所で。彼が歌っていたこの時間に。彼と同じアコギを鳴らして。いつか、彼がまたここに現れる日を夢見ながら。この歌に立ち止まってくれることを祈りながら。この歌が彼に届きますように、と自分でも本気かどうか分からないはかない願いを胸に。
今夜もこうして、あの人にこの歌を贈る。私にこの声をくれた、あの人に。
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