バゲット慕情
工房のリーチイン式冷蔵庫に、真新しい紙が貼ってある。
黒いペンで刻まれた文字は、園田の手だ。
機械を使ってレシピをコピーするのではなく、自分の手で書き写したらしい。
園田は、体は大きいくせに、ちんまりと子どもっぽい字を書く。
小麦粉一キログラム、水七百ミリリットル、塩二十一グラム、インスタントドライイースト一・八グラム、モルトシロップ二グラム。
モルトシロップは、酵母の発酵を促進し、皮【クラスト】の香りと色と硬さを、良質のものにする。
「水が七十パーセントは、ずいぶん多いわね。
ドライイーストは、逆にこんなに少ないの。
まあ、発酵時間が長いから、普通の量じゃ爆発しちゃうわね」
「はい。この量なので、バゲット一本と、あとは、フィセルとエピが四本ずつ、取れます」
「任せるわ。
明日の午前の仕込みが楽になるわね」
園田はうなずいて作業を再開した。
うなずくとき、一度ではなく三度も四度も小刻みに頭を上下するあたりが、頼りなく野暮ったい。