バゲット慕情
パン職人の作業には、繊細な時間管理が必要となる。
園田は何種類ものタイマーを工房に持ち込んでいる。
こういう順番でこれらの生地を仕込んだから、あのタイマーが鳴ったら、あれの発酵が終了。
数分ないしは数十分前の自分との連携作業を、不器用な園田が難なくこなす。
ご主人さまと下僕ね、と美智子は思う。
もちろん、パンがご主人さまで、職人が下僕である。
父と二人でパン屋を営んでいたころからつねづね感じていたが、美智子は職人とパンの倒錯的な主従関係を把握した経営者であって、職人一筋の生き方は決してなしえない。
美智子にとって、パンはあくまで商品であり、食べ物である。
一次発酵は、室温二十七度で九十分。
その間、タイガーノートのレシピでは、三十分ごとに三回のパンチを行うよう指示されている。
パン作りにおけるパンチは、殴りつけることではなく、軽く押さえる程度に生地に力を加えることだ。