押してダメでも押しますけど?
私の勤める M&Y は社長の水嶋元と副社長の横川誠司が大学在学中に立ち上げた。

パソコン向けの無料オンラインゲームから始まったうちの会社は、今ではオンラインゲームはもちろん、企業向けのシステム管理、電子機器専用の口コミサイトの運営など手がけ、急成長の企業として業界でも注目されている。




私がこのM&Yに入社したのは1年前。


その前は、大手建設会社で専務の秘書をしていた。


大学時代に、就活に有利かと思ってとった秘書検定の影響だろう。


この専務が問題だったのだ。


仕事はできるが、高圧的で、傲慢。彼に付いた秘書は1年持たないという噂だった。


私がその専務に付いたのは25歳の時だった。


それまでは副社長の秘書のサポートをしていた私は、専務に付いていた秘書がわずか3ヶ月という短い期間で退職を希望したことにより急遽選ばれた。多分、つなぎのようなものだったと思う。


先輩達からは同情され、心配された。


実際、上司としての専務は最悪だった。


発言はモラハラ、パワハラのオンパレード。セクハラがなかったのが唯一の救いだったが、それでも言うことは理不尽で納得できないとこばかりだった。


それでも負けず嫌いな私は悔しさを必死に押し殺して仕事に励んだ。


結局、根をあげない私がズルズルと秘書を務め、2年が経った。


あの専務に2年も付いているなんてあり得ないと言われた。


自分でもよくやっていると思った。


少なからず専務にも認めてもらえているんではないかと・・・


それが錯覚だと悟ったのは、会社の設立記念パーティーがきっかけだった。



そのパーティーで、役員の家族として来ていた専務の息子が私を気に入ったらしい。


翌日、私は専務に息子と付き合う様に言われたのだった。


その息子とは、35歳にしてバツ2。しかも離婚の原因が自身の浮気という最低な人物だった。


もちろん、丁重にお断りした。



そんな息子、人に勧める方がおかしいと思うのだが、その時、専務は私にこう言ったのだ。


「お前の代わりなどいくらでもいる」


きっと、プライドの高い専務は、いくら最低の人間だからといって自分の息子が部下に拒否されるのが許せなかったのだろう。


でも、その言葉で今まで耐えて来た私の中の何かがキレた。


私はその日のうちに退職願を書き、提出した。



そして、1ヶ月後に退職したのだった。

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