あのころ、
第六話 真相
「だから、こうして廉ちゃんがここにいる。違う?」
違う? て、俺に聞くなよ。話が全然読めてねぇんだよ。
「仁は納得したんだよ」
独り言のようにサキはそうつぶやいた。
俺はといえば……直立不動で立ち尽くすのみ。状況を把握することができなかった。いったい、どこから整理すればいいのかさえも分からない。
とりあえず……確かなのは──。
「気づいてたんだな。俺のこと」
男らしくない震えた声がでた。
背後でクスリと笑うのが聞こえた。バカにするようなそれではなかった。懐かしむような……そんな感じだった。
「あたりまえだよ」
サキはそれだけ言った。まるでなんでもないかのように……。
「じゃあ、なんで、俺のこと、『仁』って呼んだんだよ?」
「いじわる。久しぶりだったから」
「なんだ、そりゃ……」
久々の再会で、なんでそんな嫌がらせをするんだよ?
「とりあえず、部屋にあがっていってよ。いろいろと話したいこともあるし」
そして、しみじみと噛み締めるように、彼女は言った。
「だって、三年半だよ」
俺はハッと息を呑んだ。
そのとき、ようやく、彼女の三年半と俺の三年半の重みが釣り合った気がした。
その言葉だけ聞けていたら、もしかしたら、すっきりとした気分で帰れていたのかもしれない。ただ、彼女も俺のことを忘れないでいてくれたんだ、と分かりさえしたらそれでよかったのかもしれない。青春の恋を引きづり、思い悩んだ三年半は報われていたのかもしれない。俺の未練はきれいさっぱり浄化していたかもしれない。
でも、もう遅い。
俺はゆっくりと振り返った。彼女が鍵を差し込み、扉を開くところだった。あのころ、何度となく見とれた彼女の横顔は、すっかり大人の儚さを持ち合わせていた。それは、『色気』に違いなかった。
ギイッと大げさな音を立てながら扉が開かれていく。それを見つめながら、俺は確信していた。この扉の向こうに行ったら、何かが終わる──あの予感は、きっと正しい、と。
* * *
サキの部屋は想像していたよりも狭かった。テレビもノートパソコンの画面みたいに小さくて、必要最低限の家具しかなかった。寂しいほどにすっきりとした部屋の中に、仁との思い出が溢れていた。いたるところに二人の幸せそうな写真が飾ってあった。
俺の見たこともない仁の表情がそこにあった。子供みたいな笑顔。『兄貴』はそこにはいなかった。
キリキリと胃が絞られるような痛みを覚えた。
「合格発表の日に初めて会ったんだよね」部屋に入るなり、ベッドに腰を下ろして、サキは嬉しそうにそう切り出した。「私、受験票が無い無い、て騒いでて……廉ちゃんが一緒に探してくれたの。初対面なのに、優しい人だなぁ、て思った。覚えてる?」
「……」
いきなり思い出話を始めたサキに、俺はついていけなかった。サキの考えていることがさっぱり理解できない。
俺を『仁』と呼んでからかって、すがるように引き止めて、藪から棒に告白してきて、そしてこうして何事もなかったかのように思い出話をしている。
本当に、彼女が『サキ』なんだろうか、と疑問さえ浮かんだ。俺の知っている彼女とは──触れることさえ憚られるほどに純真そうで無邪気だった彼女とは、まるで別人のように感じた。
その違和感のせいか、俺はサキと向き合うことができずに、壁を見つめていた。
「覚えてない……よね。もう六年も前だもん」
黙っている俺に、寂しげに彼女は訊ねてきた。
俺はぎゅっと唇を引き結んだ。──覚えてる。忘れたことなんて無ぇよ。初対面だってのに構わず泣きまくり、高ぶった感情のまま、礼を言いながら俺の手を握ってきた。
色気なんてありゃしない。ただただ無邪気で無防備で、飾り気のない笑顔……初めて、女の子を抱きしめたい、と思ったんだ。
あの笑顔を思い出すだけで、心がかき乱されるんだ。──今でも、だ。気色悪ぃだろ。
「高校に入ってすぐ、サッカー部を見学しに行って、仁と会ったんだ。廉ちゃんだと思って話しかけてびっくりしたよ。双子だって言うんだもん」
驚いたのはこっちだ。タイプなんだ、と仁が廊下でこっそり指差したのが、『あの子』だったんだから。
──廉ちゃんはどう思う? やっぱ、タイプ?
正直に言えるわけも無かった。別に、と俺が答えると、仁はホッとしたように、そっか、とつぶやいた。
惚れたんだな、と悟った。だから双子はいやなんだ、と心底思った。
「それから仁と仲良くなって……いつだったか、打ち明けたの。『廉ちゃんのことが気になってる』、て。
仁、びっくりしてた。気づいてなかったみたい。でも、協力するよ、て言ってくれて。それからずっと仁に相談してたんだ」
合鍵を握り続ける拳は汗でしめっていた。
一年の夏休みが明けたくらいだっただろうか。二人が一緒にいるのをよく見かけるようになった。俺が近づくと二人は落ち着かない様子を見せた。
諦めようと思った。仁の気持ちには気づいてたし、うまくいっているようだったから。競いあったところで無意味に思えた。
ただ、自習室で彼女と会えればいい、とそれだけで満足しようとした。『不思議と』、自習室で彼女と出くわすことが多かったから。
でも、満足できなかった。仁に嫉妬している自分がいた。どうしても諦めきれなかった。無駄だと分かっているのに、どうしても……サキが欲しかった。
だから、俺は──逃げた。
「卒業が近づいて……」サキは声を低くした。「告白しなきゃ、て思ってた矢先、仁に聞いたの。離婚のこと。廉ちゃんがお父さんと一緒に福岡に行くつもりだ、て。
それからはあっという間。大学受験に追われて気づいたら卒業式。卒業旅行が続いて……帰ってきたときには、廉ちゃんはいなくなってた。メールくらいあるかな、とか期待してたんだけど……」
メールくらい? 簡単に言うなよ。どんだけ未送信メールがたまったと思ってんだ。
──サキには、引っ越すことはもう言ったの?
そう仁がしつこく聞いてくるもんだから、意地になってたんだ。あのころの俺には、あいつの助言なんて嫌味にしか聞こえなかったから。
仁がうっとうしかった。
「すごく寂しかったからかな。廉ちゃんからの連絡を待ち続けるのにも疲れちゃって……」
もういい。俺もそこまでバカじゃねぇよ。続きは予想がつく。
ようやく、悟った。これは思い出話なんかじゃない。ただの、懺悔だ。
「んで、仁を代わりにしたわけか」
サキが息を呑むのがかすかに聞こえた。
俺は堪えるように固く瞼を閉じた。
ようやく、サキと付き合いだした。──福岡に引越し、しばらくして、大学生活を始めた俺のもとに届いた仁からのメール。珍しく、顔文字も無かったのをよく覚えている。俺はそのメールに返事もしなかった。
俺たちは双子でも、テレパシーとか超能力じみた繋がりはなかったから……全然気づけなかった。
瞼を開くと、ちょうど視線の先に写真があった。幸せそうなカップルの写真が虚しく見えた。
──廉ちゃんは、なぁんか双子ってことにコンプレックス持ってるような感じ。俺は悲しいよ。
本当はお前のほうなんじゃないのか。俺の存在が疎ましくてしかたなかったのは。この三年半……いや、俺たちがサキと出会ってからの六年半、ずっと。
違う? て、俺に聞くなよ。話が全然読めてねぇんだよ。
「仁は納得したんだよ」
独り言のようにサキはそうつぶやいた。
俺はといえば……直立不動で立ち尽くすのみ。状況を把握することができなかった。いったい、どこから整理すればいいのかさえも分からない。
とりあえず……確かなのは──。
「気づいてたんだな。俺のこと」
男らしくない震えた声がでた。
背後でクスリと笑うのが聞こえた。バカにするようなそれではなかった。懐かしむような……そんな感じだった。
「あたりまえだよ」
サキはそれだけ言った。まるでなんでもないかのように……。
「じゃあ、なんで、俺のこと、『仁』って呼んだんだよ?」
「いじわる。久しぶりだったから」
「なんだ、そりゃ……」
久々の再会で、なんでそんな嫌がらせをするんだよ?
「とりあえず、部屋にあがっていってよ。いろいろと話したいこともあるし」
そして、しみじみと噛み締めるように、彼女は言った。
「だって、三年半だよ」
俺はハッと息を呑んだ。
そのとき、ようやく、彼女の三年半と俺の三年半の重みが釣り合った気がした。
その言葉だけ聞けていたら、もしかしたら、すっきりとした気分で帰れていたのかもしれない。ただ、彼女も俺のことを忘れないでいてくれたんだ、と分かりさえしたらそれでよかったのかもしれない。青春の恋を引きづり、思い悩んだ三年半は報われていたのかもしれない。俺の未練はきれいさっぱり浄化していたかもしれない。
でも、もう遅い。
俺はゆっくりと振り返った。彼女が鍵を差し込み、扉を開くところだった。あのころ、何度となく見とれた彼女の横顔は、すっかり大人の儚さを持ち合わせていた。それは、『色気』に違いなかった。
ギイッと大げさな音を立てながら扉が開かれていく。それを見つめながら、俺は確信していた。この扉の向こうに行ったら、何かが終わる──あの予感は、きっと正しい、と。
* * *
サキの部屋は想像していたよりも狭かった。テレビもノートパソコンの画面みたいに小さくて、必要最低限の家具しかなかった。寂しいほどにすっきりとした部屋の中に、仁との思い出が溢れていた。いたるところに二人の幸せそうな写真が飾ってあった。
俺の見たこともない仁の表情がそこにあった。子供みたいな笑顔。『兄貴』はそこにはいなかった。
キリキリと胃が絞られるような痛みを覚えた。
「合格発表の日に初めて会ったんだよね」部屋に入るなり、ベッドに腰を下ろして、サキは嬉しそうにそう切り出した。「私、受験票が無い無い、て騒いでて……廉ちゃんが一緒に探してくれたの。初対面なのに、優しい人だなぁ、て思った。覚えてる?」
「……」
いきなり思い出話を始めたサキに、俺はついていけなかった。サキの考えていることがさっぱり理解できない。
俺を『仁』と呼んでからかって、すがるように引き止めて、藪から棒に告白してきて、そしてこうして何事もなかったかのように思い出話をしている。
本当に、彼女が『サキ』なんだろうか、と疑問さえ浮かんだ。俺の知っている彼女とは──触れることさえ憚られるほどに純真そうで無邪気だった彼女とは、まるで別人のように感じた。
その違和感のせいか、俺はサキと向き合うことができずに、壁を見つめていた。
「覚えてない……よね。もう六年も前だもん」
黙っている俺に、寂しげに彼女は訊ねてきた。
俺はぎゅっと唇を引き結んだ。──覚えてる。忘れたことなんて無ぇよ。初対面だってのに構わず泣きまくり、高ぶった感情のまま、礼を言いながら俺の手を握ってきた。
色気なんてありゃしない。ただただ無邪気で無防備で、飾り気のない笑顔……初めて、女の子を抱きしめたい、と思ったんだ。
あの笑顔を思い出すだけで、心がかき乱されるんだ。──今でも、だ。気色悪ぃだろ。
「高校に入ってすぐ、サッカー部を見学しに行って、仁と会ったんだ。廉ちゃんだと思って話しかけてびっくりしたよ。双子だって言うんだもん」
驚いたのはこっちだ。タイプなんだ、と仁が廊下でこっそり指差したのが、『あの子』だったんだから。
──廉ちゃんはどう思う? やっぱ、タイプ?
正直に言えるわけも無かった。別に、と俺が答えると、仁はホッとしたように、そっか、とつぶやいた。
惚れたんだな、と悟った。だから双子はいやなんだ、と心底思った。
「それから仁と仲良くなって……いつだったか、打ち明けたの。『廉ちゃんのことが気になってる』、て。
仁、びっくりしてた。気づいてなかったみたい。でも、協力するよ、て言ってくれて。それからずっと仁に相談してたんだ」
合鍵を握り続ける拳は汗でしめっていた。
一年の夏休みが明けたくらいだっただろうか。二人が一緒にいるのをよく見かけるようになった。俺が近づくと二人は落ち着かない様子を見せた。
諦めようと思った。仁の気持ちには気づいてたし、うまくいっているようだったから。競いあったところで無意味に思えた。
ただ、自習室で彼女と会えればいい、とそれだけで満足しようとした。『不思議と』、自習室で彼女と出くわすことが多かったから。
でも、満足できなかった。仁に嫉妬している自分がいた。どうしても諦めきれなかった。無駄だと分かっているのに、どうしても……サキが欲しかった。
だから、俺は──逃げた。
「卒業が近づいて……」サキは声を低くした。「告白しなきゃ、て思ってた矢先、仁に聞いたの。離婚のこと。廉ちゃんがお父さんと一緒に福岡に行くつもりだ、て。
それからはあっという間。大学受験に追われて気づいたら卒業式。卒業旅行が続いて……帰ってきたときには、廉ちゃんはいなくなってた。メールくらいあるかな、とか期待してたんだけど……」
メールくらい? 簡単に言うなよ。どんだけ未送信メールがたまったと思ってんだ。
──サキには、引っ越すことはもう言ったの?
そう仁がしつこく聞いてくるもんだから、意地になってたんだ。あのころの俺には、あいつの助言なんて嫌味にしか聞こえなかったから。
仁がうっとうしかった。
「すごく寂しかったからかな。廉ちゃんからの連絡を待ち続けるのにも疲れちゃって……」
もういい。俺もそこまでバカじゃねぇよ。続きは予想がつく。
ようやく、悟った。これは思い出話なんかじゃない。ただの、懺悔だ。
「んで、仁を代わりにしたわけか」
サキが息を呑むのがかすかに聞こえた。
俺は堪えるように固く瞼を閉じた。
ようやく、サキと付き合いだした。──福岡に引越し、しばらくして、大学生活を始めた俺のもとに届いた仁からのメール。珍しく、顔文字も無かったのをよく覚えている。俺はそのメールに返事もしなかった。
俺たちは双子でも、テレパシーとか超能力じみた繋がりはなかったから……全然気づけなかった。
瞼を開くと、ちょうど視線の先に写真があった。幸せそうなカップルの写真が虚しく見えた。
──廉ちゃんは、なぁんか双子ってことにコンプレックス持ってるような感じ。俺は悲しいよ。
本当はお前のほうなんじゃないのか。俺の存在が疎ましくてしかたなかったのは。この三年半……いや、俺たちがサキと出会ってからの六年半、ずっと。