あのころ、
最終話 予言
立ち寄った本屋は、実家と駅の間にあった。よくガキのころから、時間つぶしにつかっていた本屋だった。
廃れていたはずなのに、三年半ぶりに来てみると、立派に改装されていた。今にも穴でもあきそうな階段しかなかった二階建ての古本屋は、エスカレーターつきの大手チェーン店に変わっていた。
自動ドアまでついちゃって……。俺は唖然としつつも、引き寄せられるように中へと足を踏み入れた。
店の奥でいつもぼうっと座っていたじいさんの姿はなく、寂しく思いつつも、これも時代の流れかと背伸びしたことを考えた。
最近はやりのアイドルグループの音楽が流れる中、立ち読みしている学生やサラリーマンの姿がちらほら見受けられた。
その中に見慣れた後姿を見つけ、やっぱり、と俺は思った。
すらりとスリムな長身の男。俺から奪い取った帽子をかぶったまま、その足元にはスポーツバッグ。
ため息が漏れた。持ち帰っといてあげる、と言ってそれを俺から取り上げ、帰って行ったのは何時間前の話だ?
俺は何気なく歩み寄り、隣に並ぶ。
目の前に並ぶ棚にびっしり詰まっていたのは、いかがわしい写真集で……。
「おい、こら。中学生か」
そうつっこまずにはいられなかった。
「R18コーナーだよ。中学生じゃないでしょ」
驚いた様子も無く、けろっとそう言い返す。
俺が来たこと、気づいてたか。テレパシーは無くても、そういう勘はたまに働く。俺がこの本屋に引き寄せられたのも、たぶん、そのせいだろう。なんとなく、こいつはここにいるだろう、とそんな気がしたのだ。ただの偶然かもしれねぇけど。
「変わったのな、この本屋」
ぼんやりつぶやき、俺も適当に写真集を手に取った。
「つぶれたのか、前の本屋?」
「ううん。店長が息子に変わって……まぁ、時代の流れには逆らえなかった、てとこ?」
「時代の流れ、ね」
そんな当たり障りの無いやりとりを最後に、しばらく会話は途絶えた。
なかなか、滑稽な光景だろうな。双子がそろってエロ本見てる、てのも。
しかし……どんな過激なショットが飛び出しても、全く興味がそそられない。視線がするする流れ、ページをめくっているだけだった。
きっと、仁もだ。──なんとなく、そう思った。
「返してきてくれた、鍵?」
丁度BGMが変わる瞬間だった。仁は落ち着いた声でそう訊ねてきた。
俺は見てもいない写真集に視線を落としたまま、「ああ、鍵」と思い出したようにつぶやく。ポケットに手をつっこみ、
「悪い。返しそびれた」
ぶっきらぼうに言って、取り出した鍵を仁のほうへ差し出した。
いぶかしそうにこちらを見つめる『俺の顔』が目の端で見えた。
「久々の東京だったから、ぶらぶらしてた。いつのまにか暗くなっててさ、めんどくさくなっちった。悪いな、仁」
あくまで写真集に夢中になっているフリをしていた。
仁は逡巡してから、「そっか」と責めるわけでもなく、俺から鍵を受け取った。
「じゃあ、会わなかったんだ? サキに」
「ああ。会わなかった」
はっきりと言い切った。
俺が仁に全部伝えたところで意味が無い気がした。サキはお前のことが好きなんだ、ヨリを戻せ。──そう言ったところで、なんの解決にもならない。俺がそれを伝えても、根本的な解決にはならないと思った。
「俺がフラれた理由も、聞いてないわけだ?」
思わず、ページをめくる手が止まる。
「……だから、なんだよ?」
「本当は俺、知ってるんだ」
つい、仁の様子をちらりとうかがっていた。
棚を見つめるその横顔にはうっすらと笑みがうかんでいた。懐かしむように細めるその眼差しは寂しそうで……とてもじゃないが、エロ本の山へ向ける表情じゃなかった。
「サキから直接、聞いて欲しかったんだけど、実はさ……」
「別にいいよ」すかさず、口をはさんだ。「興味ねぇし」
仁から目を逸らし、持っていた写真集を戻す。
「どうせ、お前が浮気でもして愛想つかされたんだろ」
「いきなり、浮気かい」ため息混じりに、仁が乾いた笑いをこぼすのが聞こえた。「ひどいなぁ、廉ちゃん。俺はサキ一筋だよ」
「ああ。これからもな」
「は……?」
ここまでくると、呆れ返る。
たぶん、双子じゃなくても分かる。こいつがどれほどサキに惚れているのか。痛いほど伝わってくる。
なのに、こいつは……バカか。
「だから」と苛立ちのままに切り出し、俺は仁に振り返った。「鍵、自分で返しに行けよ。最後くらい、ちゃんとサキと向き合ってやれよ。俺を通してじゃなくて」
仁の目が見開かれた。『何か』を悟ったんだろう。
俺は構わず仁を睨みつけ、脅すように続けた。
「お前の彼女だったんだろうが、三年も。今さら、俺に押しつけんなよ」
「……」
「お前の問題だろ。双子だからって、無関係の俺を巻きこむなよ。迷惑だ」
不穏な空気を察したのだろうか、遠くから店員がこちらを見ているのが分かった。
俺はそそくさと床に置かれたスポーツバッグを拾い上げた。
「今、ケリつけとかねぇと、後悔するからな。三年半後に」
早口で言い切ると、ぽかんとしていた仁がようやくクッと笑った。
「三年半って……具体的すぎ。予言?」
「体験談だ。俺のな」
仁はなんともいえない表情で俺を見つめていた。哀しそうな、悔しそうな……双子の俺にも、その奥に隠された感情を判断しかねた。
やがて視線を落とし、仁は哀愁を帯びた笑みを浮かべた。
「じゃ……予言だ」
ずいぶん、大人びた声をだすようになったもんだ、と思った。
「ガキのころは、いくら頼んでも渡してくれなかったじゃねぇか。鍵」
両親が共働きだった俺らは、いわゆる『鍵っ子』てやつだった。数分の違いなのに『兄だから』という理由で、いつも鍵は仁が持っていた。それが悔しかったのをよく覚えてる。
「どんなに俺がねだっても、『廉には任せられない』て絶対譲ってくれなかったじゃねぇか」
今になってみると、笑えるよな。鍵の取り合いしてたなんて。
でも、なぜだろう。あのころを思い出すと、懐かしいはずなのに切なくなって胸が痛む。それを仁に悟られたくなくて、靴を睨みつけるようにうつむいた。
「なんで……一番大事なときに、それが言えないんだよ」
仁は何も答えはしなかった。
ただ、かぶっていた帽子を俺の頭にそっと乗せ、「帰ろうか」とそれだけ言った。
* * *
さすがに立ち読みしすぎた、と仁はサッカー雑誌を一冊買った。
「まだ、サッカーやってんのか?」
感心したように訊ねると、仁は「まあ、たまにね」と照れたように答えた。
「フットサルを週末にやるくらいだけど」
ありがとうございました、と店員が背後で声を上げた。仁が軽く会釈をし、俺もつられたように頭を下げた。
本屋を出るなり、仁は「そうだ」と満面の笑みを浮かべて俺の腕をつかんできた。
「明日、廉ちゃんも来てよ。フットサル」
「はあ?」仁の手を振り払い、俺はあからさまに嫌悪感を顔に出した。「冗談じゃねぇよ」
「なんでぇ?」
「こっちのセリフだ。なんで東京まで来てスポーツにいそしまなきゃなんねぇんだよ」
「うわぁ、出た。ガリ勉」
にんまり笑む仁は、子供そのもの。
「誰のせいだと思ってんだ」
つい、そう言い返した俺は、すぐに失言だったことに気づいて顔を逸らした。
「なんのこと?」
「なんでもねぇよ」
俺とサキが自習室で鉢合わせするように仕組んでたの、お前なんだろ。もうネタは上がってんだ。それがなきゃ、俺もここまでガリ勉にはなってなかったっての。──とは、今は言えるわけもない。
「それよりさ」久々の実家への帰路を懐かしみつつ、俺はふいに切り出した。「明日はのんびり、話でもしようぜ」
「……」
仁からすぐに返事はなかった。
気になって視線を向けると、仁は眉をひそめ、珍しいものでもみるかのような表情でこちらを凝視していた。おい、失礼すぎだぞ、その顔。
まあ、いいか。そういう反応をされるようなこと、してきたわけだから。
「積もる話……山ほど、あるんだろ? 三年半ぶりの再会なんだから」
よ、とスポーツバッグを肩に担ぎなおし、俺は仁にぎこちなく微笑んだ。
「なぁ、兄貴?」
三年半──俺も大事なものを、気づかぬうちにたくさん捨ててしまってきたんだろうから。取りもどさねぇと……間に合ううちに。
廃れていたはずなのに、三年半ぶりに来てみると、立派に改装されていた。今にも穴でもあきそうな階段しかなかった二階建ての古本屋は、エスカレーターつきの大手チェーン店に変わっていた。
自動ドアまでついちゃって……。俺は唖然としつつも、引き寄せられるように中へと足を踏み入れた。
店の奥でいつもぼうっと座っていたじいさんの姿はなく、寂しく思いつつも、これも時代の流れかと背伸びしたことを考えた。
最近はやりのアイドルグループの音楽が流れる中、立ち読みしている学生やサラリーマンの姿がちらほら見受けられた。
その中に見慣れた後姿を見つけ、やっぱり、と俺は思った。
すらりとスリムな長身の男。俺から奪い取った帽子をかぶったまま、その足元にはスポーツバッグ。
ため息が漏れた。持ち帰っといてあげる、と言ってそれを俺から取り上げ、帰って行ったのは何時間前の話だ?
俺は何気なく歩み寄り、隣に並ぶ。
目の前に並ぶ棚にびっしり詰まっていたのは、いかがわしい写真集で……。
「おい、こら。中学生か」
そうつっこまずにはいられなかった。
「R18コーナーだよ。中学生じゃないでしょ」
驚いた様子も無く、けろっとそう言い返す。
俺が来たこと、気づいてたか。テレパシーは無くても、そういう勘はたまに働く。俺がこの本屋に引き寄せられたのも、たぶん、そのせいだろう。なんとなく、こいつはここにいるだろう、とそんな気がしたのだ。ただの偶然かもしれねぇけど。
「変わったのな、この本屋」
ぼんやりつぶやき、俺も適当に写真集を手に取った。
「つぶれたのか、前の本屋?」
「ううん。店長が息子に変わって……まぁ、時代の流れには逆らえなかった、てとこ?」
「時代の流れ、ね」
そんな当たり障りの無いやりとりを最後に、しばらく会話は途絶えた。
なかなか、滑稽な光景だろうな。双子がそろってエロ本見てる、てのも。
しかし……どんな過激なショットが飛び出しても、全く興味がそそられない。視線がするする流れ、ページをめくっているだけだった。
きっと、仁もだ。──なんとなく、そう思った。
「返してきてくれた、鍵?」
丁度BGMが変わる瞬間だった。仁は落ち着いた声でそう訊ねてきた。
俺は見てもいない写真集に視線を落としたまま、「ああ、鍵」と思い出したようにつぶやく。ポケットに手をつっこみ、
「悪い。返しそびれた」
ぶっきらぼうに言って、取り出した鍵を仁のほうへ差し出した。
いぶかしそうにこちらを見つめる『俺の顔』が目の端で見えた。
「久々の東京だったから、ぶらぶらしてた。いつのまにか暗くなっててさ、めんどくさくなっちった。悪いな、仁」
あくまで写真集に夢中になっているフリをしていた。
仁は逡巡してから、「そっか」と責めるわけでもなく、俺から鍵を受け取った。
「じゃあ、会わなかったんだ? サキに」
「ああ。会わなかった」
はっきりと言い切った。
俺が仁に全部伝えたところで意味が無い気がした。サキはお前のことが好きなんだ、ヨリを戻せ。──そう言ったところで、なんの解決にもならない。俺がそれを伝えても、根本的な解決にはならないと思った。
「俺がフラれた理由も、聞いてないわけだ?」
思わず、ページをめくる手が止まる。
「……だから、なんだよ?」
「本当は俺、知ってるんだ」
つい、仁の様子をちらりとうかがっていた。
棚を見つめるその横顔にはうっすらと笑みがうかんでいた。懐かしむように細めるその眼差しは寂しそうで……とてもじゃないが、エロ本の山へ向ける表情じゃなかった。
「サキから直接、聞いて欲しかったんだけど、実はさ……」
「別にいいよ」すかさず、口をはさんだ。「興味ねぇし」
仁から目を逸らし、持っていた写真集を戻す。
「どうせ、お前が浮気でもして愛想つかされたんだろ」
「いきなり、浮気かい」ため息混じりに、仁が乾いた笑いをこぼすのが聞こえた。「ひどいなぁ、廉ちゃん。俺はサキ一筋だよ」
「ああ。これからもな」
「は……?」
ここまでくると、呆れ返る。
たぶん、双子じゃなくても分かる。こいつがどれほどサキに惚れているのか。痛いほど伝わってくる。
なのに、こいつは……バカか。
「だから」と苛立ちのままに切り出し、俺は仁に振り返った。「鍵、自分で返しに行けよ。最後くらい、ちゃんとサキと向き合ってやれよ。俺を通してじゃなくて」
仁の目が見開かれた。『何か』を悟ったんだろう。
俺は構わず仁を睨みつけ、脅すように続けた。
「お前の彼女だったんだろうが、三年も。今さら、俺に押しつけんなよ」
「……」
「お前の問題だろ。双子だからって、無関係の俺を巻きこむなよ。迷惑だ」
不穏な空気を察したのだろうか、遠くから店員がこちらを見ているのが分かった。
俺はそそくさと床に置かれたスポーツバッグを拾い上げた。
「今、ケリつけとかねぇと、後悔するからな。三年半後に」
早口で言い切ると、ぽかんとしていた仁がようやくクッと笑った。
「三年半って……具体的すぎ。予言?」
「体験談だ。俺のな」
仁はなんともいえない表情で俺を見つめていた。哀しそうな、悔しそうな……双子の俺にも、その奥に隠された感情を判断しかねた。
やがて視線を落とし、仁は哀愁を帯びた笑みを浮かべた。
「じゃ……予言だ」
ずいぶん、大人びた声をだすようになったもんだ、と思った。
「ガキのころは、いくら頼んでも渡してくれなかったじゃねぇか。鍵」
両親が共働きだった俺らは、いわゆる『鍵っ子』てやつだった。数分の違いなのに『兄だから』という理由で、いつも鍵は仁が持っていた。それが悔しかったのをよく覚えてる。
「どんなに俺がねだっても、『廉には任せられない』て絶対譲ってくれなかったじゃねぇか」
今になってみると、笑えるよな。鍵の取り合いしてたなんて。
でも、なぜだろう。あのころを思い出すと、懐かしいはずなのに切なくなって胸が痛む。それを仁に悟られたくなくて、靴を睨みつけるようにうつむいた。
「なんで……一番大事なときに、それが言えないんだよ」
仁は何も答えはしなかった。
ただ、かぶっていた帽子を俺の頭にそっと乗せ、「帰ろうか」とそれだけ言った。
* * *
さすがに立ち読みしすぎた、と仁はサッカー雑誌を一冊買った。
「まだ、サッカーやってんのか?」
感心したように訊ねると、仁は「まあ、たまにね」と照れたように答えた。
「フットサルを週末にやるくらいだけど」
ありがとうございました、と店員が背後で声を上げた。仁が軽く会釈をし、俺もつられたように頭を下げた。
本屋を出るなり、仁は「そうだ」と満面の笑みを浮かべて俺の腕をつかんできた。
「明日、廉ちゃんも来てよ。フットサル」
「はあ?」仁の手を振り払い、俺はあからさまに嫌悪感を顔に出した。「冗談じゃねぇよ」
「なんでぇ?」
「こっちのセリフだ。なんで東京まで来てスポーツにいそしまなきゃなんねぇんだよ」
「うわぁ、出た。ガリ勉」
にんまり笑む仁は、子供そのもの。
「誰のせいだと思ってんだ」
つい、そう言い返した俺は、すぐに失言だったことに気づいて顔を逸らした。
「なんのこと?」
「なんでもねぇよ」
俺とサキが自習室で鉢合わせするように仕組んでたの、お前なんだろ。もうネタは上がってんだ。それがなきゃ、俺もここまでガリ勉にはなってなかったっての。──とは、今は言えるわけもない。
「それよりさ」久々の実家への帰路を懐かしみつつ、俺はふいに切り出した。「明日はのんびり、話でもしようぜ」
「……」
仁からすぐに返事はなかった。
気になって視線を向けると、仁は眉をひそめ、珍しいものでもみるかのような表情でこちらを凝視していた。おい、失礼すぎだぞ、その顔。
まあ、いいか。そういう反応をされるようなこと、してきたわけだから。
「積もる話……山ほど、あるんだろ? 三年半ぶりの再会なんだから」
よ、とスポーツバッグを肩に担ぎなおし、俺は仁にぎこちなく微笑んだ。
「なぁ、兄貴?」
三年半──俺も大事なものを、気づかぬうちにたくさん捨ててしまってきたんだろうから。取りもどさねぇと……間に合ううちに。