暮れのハウス


俺の顔は、良くも悪くも普通。
小綺麗にして、流行りの服を着れば雰囲気はイケメンになるらしい。
どうでも良い女子のアドバイスからの参照だ。
そして数ヶ月前の俺の外見も普通。
しかし雰囲気はノット・イケメンだ。
髪は黒。常にメガネ。
なよっとした猫背の男に力強さなんか感じられない。
チャラ男というより、オタク寄り。
某、死のノートの登場人物の一人、目の下隈男を小汚なくした感じだ。
そんな格好だからか、夜の歌舞伎町辺りをぶらぶらしてると人生投げ出してるとしか思えないような、言葉遣いから身形まで完全アウトな、「少年から大人に成りきれなかった可哀想なベイベー」達からはご挨拶という名の洗礼を受けるわけだが、おあいにく様である。
性格は至って真面目であるが、負けず嫌い。
一度火が付けば、成し遂げるまでやる。
恨みは一生忘れない。
一途と言っても過言ではない。
売られたケンカは必ず買う。
俺の前に立ちはだかったが最後、顔面強打は必至。
肩を掴もうものなら、路地裏のゴミ箱に頭から突っ込んで朝までお寝んねはザラ。
頼むからそっとしていて欲しい時まで、夢見がちな野郎共の楽園ベイベーに引きずり込まれる。
俺が何をしたって言うんだ、え? と聞き返す頃には辺りはまるで抗争跡地。
立ち尽くすのは性に合わないため、転がるマネキンから金目のものを頂いて飄々と帰るのだ。
騒ぎを聞きつけたマッポが横を通りすぎた。
しかし誰一人として俺を見ようともしない。
さぁ、今日も大収穫だった。
意外とニートでもリッチな生活出来てると思う。
しかし、心の奥底は「まだこんなことをしているのか」という燻った感情が渦巻いている。
所詮自分の正当化をしたいからここで年甲斐もなくケンカする。
絡まれるためにわざわざ赴いて人を殴り、物を盗る。
負けはしない。負けたことはない。
負けるケンカはしない。
しかし、この日は違った。
「待ちなさい」
不意に声を掛けてきたのは、綺麗な女の子。
俺のどんぴしゃのタイプ。
日本美人という言葉がぴったりはまる、そんな淑やかなな雰囲気を持つ女の子だった。
「何?」答える俺。
「お前、さっき何してた?」
「は?」
焦る俺。もしかして見られていたのか、と。通報でもする気か、この子。何か言われたら即効逃げよう。そう脳内シュミレーションした。しかし、違うようだった。
「うちのアソウと一戦交えないか?」
にこりと笑う少女。
後ろからガタイが良い男が出てきた。
少女は言った。
「うちのアソウとやって勝てたら、百万円やろう。金に困っているんだろう? 警察にも内緒にしてあげる」
やっぱり見られていた。
逃げよう。金なんか別に要らねぇ。
しかし、その少女の付き人のアソウというやつと、何人かの黒服に囲まれた。
「何が目的?」諦めて問う。
彼女は言った。実に淡々と。
「お前みたいな腕の立つクズを探していたから。負けたら、奴隷として買い取ってやる」
にやりと悪魔みたいな顔で少女は笑った。
「冗談だろう? 誰がそんなことするかよ」
「わしが気にいったのだ。拒否権はない。アソウ、行け」
頷いた男は、すぐに襲いかかってきた。
逃げ腰の俺の結果はまったくもって、惨敗。
少女は楽しそうにこちらに語りかけてくる。
「よろしく、新しい奴隷。わしは神楽坂小夜子。お前の名前は? 言わないとしても直ぐに分かるがな」
最悪な筈なのに、美人の笑顔には弱いのは男の性だと情けなくなる。
体のあちこちが痛くて、俺は悔しくて虚しい反面、こんな美人に気に入って貰えてラッキーと感じてしまっていた。
「アソウ、運んで」
動けなくなった俺の体を担ぐ男。
これだけは素直に屈辱だったのを覚えている。




現在の俺。
先ほどの勇姿とは反対に、俺は今、虐げられている。
「おい、翔太。わしに出す紅茶はいつもフォートナム・メイソンかロンネ・フェルトにしろと言っているだろう?」
「…紅茶なんざ何でも同じだろう」
「グチグチ言うな。お前は奴隷のくせに主人を敬う気持ちが皆無だな。仕置きしてやろうか?」
舌打ちをしようものなら間髪入れずに平手が飛んでくる。
「いってぇな…!」
口答えもダメだ。気管が一瞬で絞まり、脳が虚血に陥る。意識が薄れて行こうものなら、俺の腹に蹴りが入る。
「馬鹿者、お前は頭から爪先まで全てわしのものじゃぞ。お前は自分の価値を知らなすぎる。くずのくせにわしに仕えられるなんて、他の者が聞いたら卒倒するぞ」
ジャラリ、と鎖を揺らして微笑む傲慢知己。
どんなに外そうと思っても外れない首輪が恨めしいが、その持ち主にどんな事をされても恨みきれない自分が情けない。
「小夜子…」
「小夜子様、だ」
烏の羽のような黒髪、吸い込まれそうな深い闇色の瞳、血が滲んだかのように鮮やかに浮かぶ紅い唇。
唇が綺麗な弧を描くと、俺の心臓が激しく太鼓を叩くが如く高鳴る。
神楽坂小夜子。
一言で言えば、存在するだけで全てを善しとされるほどの美貌を持つ女。
年はまだ若いように見えるが、知識量と情報量は半端じゃない。
一応学歴だけは高い俺が、一泡食わせてやろうと難しいことを話題に昇らせたが、呆気なく看破されたこともある。
それだけじゃない。小夜子は飴と鞭の使い方が上手い。俺の心理なんて分かりきっているだろうから、そう言う行動を取るのだろうか。
ヒラリと靡く、黒いロングのフレアスカート。
シフォンのブラウスからくっきりと浮き出た鎖骨が艶かしい。
弛く結んだ胸元の赤いリボンは少女のような初さよりも、それを外す想像をさせるから男にとっては毒である。
「わしの奴隷は従順で無くては行けないのに、お前は何故言うことを聞けないのだ? 紅茶くらいまともに覚えられずにどうする」
小夜子は俺に繋がれた鎖をまたぎゅっと引き寄せる。苦しさから逃れるように自然と小夜子の前に行く俺。そして俺を引き寄せる腕。
「お前はわしのものだが…まだ日が浅いからわしを困らせるのだろう? 信用していないのだな? 何をしたらお前は完全にわしのものになるのだろうな」
真っ直ぐに俺を射ぬく瞳につい視線を反らす。その隙に、小夜子は俺の唇に噛みついた。甘噛みし、舐り、吸い付いて、また噛み付く。そんなに俺の口は美味いのだろうか? そう思うほど、しつこいくらい続けられると、つい俺もし返してしまいそうになるが、小夜子はその感情が伴った途端に止めてしまう。
「あ」と、声を上げて小夜子を見るととても楽しそうに微笑んでいた。
「小夜子…」
「小夜子様、だろう? 物欲しそうな顔してどうした?」
いつもこうだ。俺の感情は小夜子に取っては、おもちゃと同じ。男の欲も首輪一つで制御される。こんな美人を前にして、犯すことは出来ずに悶々と同じ時を過ごす。一旦、全ての建前は置いてやらせてくれと頼んだら小夜子はやはり綺麗な表情は変えずに「馬鹿者」と罵りながら、まるで子猫を弄ぶように平気な顔して俺を打つ。俺の心は老いた枝の様にポキリと折れた。
「小夜子様…」 
「何だ? 私の可愛い翔太」
さすがは他人を奴隷と公言するだけの女。可愛い、と云われただけで心がふわりと快になる。また一歩、俺の奴隷化が進んだことを認識した。
「紅茶、…淹れ直して来ます」
呟くと、「ありがとう」と主人が言った。

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