愛ニ狂ッタ人
今までを振り返ってみる。
少なくとも、両親に愛された記憶はない。
母親は父親を愛しているし、父親も母親を愛している。
例えその“愛している”の差に、違いがあったとしても。
お互いがお互いを必要としているのは、間違いないだろう。
ただしその両親の“愛”を、僕が受け取った記憶はない。
“必要とされた”ことはあったけど。
きっとソレは、ただ家を継ぐ人間が欲しいだけで、“愛”とは呼べないだろう。
“必要とされた”=“愛”と言う方程式が違うことを、僕は知っているから。
学校の人間はどうだろうか?
僕が学校見学に行く度に、お菓子を振舞う校長は?
わざわざ家まで迎えに来てくれた、教頭は?
僕が通ると、道を開ける先生たちは?
果たして僕を、愛していただろうか?
いや。
学校の職員も皆、僕を“必要としている”が、愛してはいない。
きっと彼らの目から僕を見ると、決して怒らせてはいけない・機嫌を損ねてはいけない存在でしかないだろう。
僕をそのような目でしか見られない学校の職員たちは、決して僕を愛してなんていない。
今まで僕に話しかけてきた、男子や女子、クラスメイトは?
アレを果たして、愛と呼べるのだろうか?