ダイコク
ヤチホコもモリヒトも、兄者たちに余計なことを言ったりはしなかった。
だから、誰も何も知らない。秘密が多い家族だ。そして、不思議に仲が良い。
ヤチホコが10歳になった。ヤチホコは、本当に逞しく、頼もしくなった。
ヤチホコは、相変わらず武芸にいそしむ様子を見せなかったが、誰もその事に口出ししなくなった。
ヤチホコは、、
多分、本当は、兄弟のなかで一番強い。
誰が何度手合わせしても、殴られることも蹴られることもなく、ひらひらとかわして投げ飛ばし、刀を突きつけた。そして、伐りもしないし、殴りも蹴りもしなかった。
これで、好戦的な性格だったら、手がつけられなかったかもしれない。
本気でヤチホコに憎まれでもしたら、突きつけられたとか投げ飛ばされたとか、押さえ込まれたではすまないかもしれない。ヤチホコは、けして怪我ひとつせず、そして、誰にも怪我ひとつさせない、そういう意味では、誰よりも巧かった。名手だった。
一度だけ、ヤチホコが怒ったことがあった。兄者のうちでも腕のたつソナミが、ふざけるなかでヤチホコの目に刀の先を突きつけたのだ。
ヤチホコの心に、心細げな母の顔が思い浮かぶ。
ヤチホコは、夢中になってソナミを投げ飛ばした。ソナミの刀を奪い、地面に仰向けに押し付け首を押さえ込まれたソナミの顔の側に、何度も何度も降り下ろす。ソナミの髪が切り落とされた。耳タブから血が飛び散った。
ソナミは、ヤチホコを恐れた。けれども、このような悔しい思いをさせられて、だまったままでいるような男でもなかった。
ヤチホコの母親は、皆がヤチホコを恐れていると聞いて、たいそうがっかりした。

「ヤチホコ」
「ヤチホコ」
(お前はたいそう優しい子だったように思う。これでは護ってやれない。)

ヤチホコは、もう、子どもではなくなりつつあった。他の兄弟たちも、もう、気がついている。
ヤチホコは、蔑んでいるのだ。粗野で乱暴な兄弟たちを、蔑んでいるのだ。
皆が皆、切磋琢磨し、磨き抜かれる中にも、それぞれ、弱さがある。ソナミや他の兄者たちは、苦しくなると、ついついずるいことをする。ヤチホコは、ズルいことだけはしてこなかった。その分だけ、身のこなしも技も磨かれたように思う。
頼りにしてきたモリヒトには、病があり、武芸の稽古そのものままならない。しかたない。仕方がないけれども。。面白くない。
今では、生意気な弟たちを、いさめることさえせずに使われている。どこかひくつになってしまったモリヒトに腹が立つのか、モリヒトを敬わない兄者たちに腹が立つのか。
久しぶりに母親を訪ねた父親が、始めてヤチホコに向き合って言った。
「ヤチホコ。手合わせの時に、武芸の他のことを考えてはならぬ。」
母親が、ひどく心細げな顔をしていたが、父親は、その肩を二つたたいただけで、昔のように抱き締めたりはしなかった。
ヤチホコは、父の言うことを、頭では理解していた。
次の手合わせの時には、鮮やかにソナミを投げ飛ばし、ねじ伏せ、剣を合わせれば必ずソナミの剣を弾いて打ち負かせた。
でも、でもしかし、
この頃からだろうか。
兄弟の中に不穏な空気が広がりつつあった。
ヤチホコもまた、父親のことを不甲斐なく思うようになりつつあった。
本来なら、兄者たちがしかられれば良い。ソナミは、ヤチホコに負けて悔しいなら、これに懲りて、ふざけずに武芸にいそしめば良いのだ。切磋琢磨して、二人とも成長しただろう。
でも、誰もソナミを叱らない。他の兄弟たちは、ソナミにかなわないものだから、ソナミには逆らわない。そして、ヤチホコが誰も傷つけないものだから、ヤチホコのことなぞ軽んじている。
父親は、、ヤチホコに期待し、ヤチホコを誰よりも頼りにしていた。ヤチホコもそれは知っていたが、もう、無理な話だった。
ソナミを従えることなんかできるものか。
皮肉な話だった。
子どもたちは気がついていただろうか。父親は、武芸についてよく子どもたちに教えたが、一度も子どもたちを怪我させたことがなかった。
父親が、ヤチホコに期待したのは、自分と同じことができる可能性があるのがヤチホコだけだったからだ。ヤチホコの他の兄弟は、皆、家族を傷つける。モリヒトも心もとない。
父親が、自分の考えや、家族の護り方を子どもたちに話したことは一度もない。
話してやれば良かったかもしれない。
ソナミはソナミで、自分が父親から期待されていないことをいつも思い知らされていた。
ヤチホコの母のあの女が憎たらしかった。

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