ダイコク
ヤチホコは思い違いをしていたが、ヤチホコの父親は、ヤチホコが思うよりも母親に惚れこんでいた。
実は、ヤチホコが子どもではなくなってきたので、ヤチホコの前ではばつが悪くて少々遠慮していた訳だ。
ヤチホコが不器用な青春を謳歌している隙に、こちらはこちらで大人の恋愛を楽しんでいた。
その夜、ヤチホコの父親は、愛しい女人の部屋に上がり込むと、待ちかねたようにこの方を胸に抱き寄せて、尋ねた。
「ヤチホコは、今夜は帰らないのでしょうか。」
ヤチホコの母親は、その昔、スクナヒメと呼ばれた。
スクナヒメは、心細げな様子で、応えた。
「はい。。心細くてなりませぬ。」
(これはこれは。)
父親は、愛しくてならないといったように、スクナヒメをもう一度抱き締めて、
その耳許に囁いた。
「それならば、ヤチホコが戻らぬ夜は、私がこうして降りて参ることにいたしましょう。」
もう、焦れる心を隠すこともならない。
それなのに、、それなのに、今夜のスクナヒメは、つれなかった。
「そういうことではないのです。」
はて。
「そういうことではないとは。。」
「あの子は、誰にでも愛されるという訳にはまいりません。妬まれたり嫉まれたり、また、そういう人の心にもよほど疎くて。」
スクナヒメは、ますます心細そうに、夫の胸に頬を寄せる。憂いを湛えた瞳が、こちらを見上げて泳いだ。息子を思いやっているのだと本人は言う。しかし、しかしだ。
(これが母親の顔だと言うのだから。)。
父親は、すっかりその顔にこころみだされ、焦れてきた。
「ヤチホコは、頼もしくなった。」
「貴方を初めて手に入れた頃の私にそっくりではないか。」
愛しい女人にそっくりの美しい息子だった。父親にしても、可愛くてしかたがない。
けれども、父親と母親は違う。父親は、ヤチホコが迷うことも、反抗的に怒りの色を目に浮かべたりすることも、全てが可愛くてしょうがなかった。
結局のところ、スクナヒメの心細さが夫に分かるわけがない。何しろ、物凄い数の息子がいるのだ。ヤチホコは、父親にとって、その一人にすぎない。
父親が豪胆であればあるほどに、母親は心細くてならない。。
「貴方の心をかきみだすところまで、私に似たか。」
父親は、笑う。そして、愛しくてならないといったように、もう一度、もう一度女人を抱き直し、また少し自分の欲望を逃してから、、真面目に言った。
「あれにはあれを支える女人が現れる。貴方は少し子どもを手放した方が良かろう。」
ああ、もう、どうしようもなく面倒なことだ。
「あの娘のことでしょうか。。」スクナヒメがおずおずと聞き返す。
父親は、顔をしかめた。どうにもこうにも、面倒でならない。
「違う。」
「違うとは?」
「とにかく、違う。あの娘は違う。そのうち分かる。もう少し長い目で物を見よ。」
スクナヒメの顔が苦悩に歪む。スクナヒメは、ヤチホコに心通いあう娘があることは知っていて、父親の言葉を聞いてがっかりしたのだ。ヤチホコの父親は、あの娘とヤチホコは、支え合えぬという。ヤチホコは、、ヤチホコは、傷つきはしまいか。
父親は、すっかり焦れて、スクナヒメの耳を少しかんだ。
「私はでたらめに物を言うているのではない。ヤチホコは、あれは、良い男だ。私より力の強い神になる。とにもかくにもあれは大丈夫だ。」
父親は、もう、我慢ならなかった。
(けして、けして、この方を怯えさせたいわけではないのだが。。)
(いつもいつもこの方は、、)
今夜はもう、この方の苦悩が溶けて、ホッとしたようなあの顔をのぞむことはできまい。
(あのお顔見たさに、私が、どれだけホネを折り、手を尽くし、心を押さえているか、気がつきもしない。)
もう、我慢ならない。
「若い男の話は、そろそろ止めていただこうか。」と、父親は低い声でスクナヒメの耳許に囁くと、乱暴にヒメを寝台に放り投げた。
寝台に転がされ、スクナヒメの背筋が凍る。一度、大きく目を見開いたあと、肩を震わせながらきつく目を閉じている。
この方は、一晩中、苦渋に顔を背けて、目も合わせてくれないやもしれぬ。
もう、こちらはそれも嫌いではない。いやいや、むしろ、それはそれで望ましいやもしれぬ。。不埒な想いが膨れ上がる。
けれども、明日より扉を閉ざして入れてもらえなくなってしまったら、、。それはまた面倒ではないか。。
父親は、焦れながらも、努めて優しく、 スクナヒメに口付けた。甘い口付けだった。
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