ダイコク
ウサギは走った。アタリが、また、ヤカミヒメ様の御殿場を荒らすようになった。
ヤカミヒメにはヤカミヒメの考えがあるのだろうが、ウサギは、ウサギで、そんなこと納得できるはずもなかった。
ヤチホコは、ヤチホコ様はお若いけれども、強い神様だと聞いている。
いつもいつも、優しく、ヤカミヒメ様が傷つかぬよう護っておって下さった。
ヤカミヒメ様が黙っておれば、あの兄弟が幸せに暮らすことができるなどと、だれがそんなデタラメを言うたのか。
浜辺で見つけられなければ、思いきって万の神を訪ねてみよう。

ウサギは、物影から、海岸を伺った。

ウサギは、なるべく目立たないように来たつもりだったが、とっくにアタリに見つかっていた。
海岸で立ち止まったところを、また、アタリに捕まえられた。
ウサギは、ウサギは、暴れて、何とか逃げたが、アタリは、剣を振り回した。ウサギの衣の裾が引きちぎられる。
白い頭髪の先も切り落とされて飛び散る。
ウサギは、必死に逃げ惑う。
そこに、そこに、
石が飛んできてアタリの手に強く当たった。

アタリは、ウサギに夢中で、ヤチホコに気がつかなかった。しばらくは、手が痛んでうずくまった。
ヤチホコは、その隙にウサギを逃がす。
アタリは、反対の手に剣を握ってヤチホコに斬りかかった。
ヤチホコは、かわした。
「剣を抜け」と、アタリは、怒鳴った。
「この、卑怯者、逃げずに剣を抜け」
アタリは、気がふれたように髪の毛を逆立てて怒った。
(冗談じゃない。)
ヤチホコは、逃れるウサギを追った。
逃げるが勝ちだ。

アタリは、追って来なかった。
「ウサギ、もう大丈夫だ、ウサギ。」
「驚いただろう。あれは、兄弟の間では、ちょっとした鬼ごっこだ。女人は、近くに行かない方がよい」
ヤチホコは、ウサギを安心させようと、抱き寄せて肩を撫でた。そして、、ウサギの頬の傷に触れた。
「薬をやろう。傷跡にならないように塗っておくと良い。」
ウサギは、ホッとしたのと同時に、涙が出た。がっかりもした。身体についた傷など、そのうち痛みも忘れてしまうことだろう。
ヤカミヒメ様の片思いだったら?どうなってしまうのだろう。
(鈍いにも程がある。)
ウサギは、気が遠くなった。差し出された薬を、ヤチホコの胸に押し返した。
「探しておりました。ヤチホコ様。」
「あなた様を、探しに参りました。ヤチホコ様。」ウサギは、必死に訴えた。
「ヤカミヒメ様は、、愛されなければ、殺される。」と、ウサギは砂の上に書いた。
ヤチホコは、ウサギを見た。
傷だらけ。
白い肌のあちこちに、血が滲む。
真っ白な髪の毛にも、血糊がへばりつき、衣もあちこち引き裂かれてぼろぼろだった。
ヤチホコは、何故にウサギが危険を犯してまで浜辺にやって来たのか、理解した。
ヤチホコは、ウサギに、もう一度薬を差し出した。
「もうすぐモリヒトが来る。傷口を真水で洗い、薬を塗って、草の影に隠れて、モリヒトが来るまで動かないでいるように。」
「兄者は、また、いたずらがすぎるだけだ。心配いらない。兄者から逃げるのも逃すのもお手のものだ。」
ヤチホコは、近頃父親からもらい受けた弓を背負い、それから、しばらくの間抜いていない剣を携え、ヤカミヒメの元へと走った。
兄者が追って来なかったのは、他に用事があるからにきまっていた。
あのしつこい男が、理由もなく他人を傷つけることを諦める訳がない。
ヤチホコは、なるべく考えないように生きてきた。が、ウサギに泣かれて、兄者が何者なのか、目を背けることができなくなってしまった。
< 23 / 38 >

この作品をシェア

pagetop