ダイコク
隠岐の島にわたる海岸で、いつもウサギを抱えて泣いている。
今日、私の侍女は、人目を避け、あのろくでもない男に会いに行っている。私の護衛の者は、自分の地位をひけらかして、ちっとも力を磨こうとしない。
私はといえば、人形のように綺麗に着せられ飾られ、口を開くこともできずにがんじがらめになっている。

そんな時。

「どうしたの?どこかうったの?」と、小さな子どもの声がした。

ウサギが腕から滑り落ちる。
その子は、滑り落ちたウサギを救い上げて、「危ない危ない」と言った。

「何故?」
ヤカミヒメは、思わず口にしていた。
何故ここに子どもが一人で??
その小さな子ども、ヤチホコは、、少し思い違いをして答えた。
「どこか痛いの?」

ヤカミヒメは、久しぶりに口を開いた。ウサギ以外のものに。
「胸よ。胸が痛いの」
「胸?」
ヤチホコがちょっと恥ずかしげにする。
「そんなとこ痛い人、初めてだよ。僕は、よく頭打つし、足も擦りむいたりするけど、胸なんか打ったことない。よっぽど変なこけかたしたのかな?」
ヤチホコは、首をかしげる。
子どもが痛いと言えば怪我だ。ヤチホコの兄弟たちに、胸が痛むような心根の持ち主はいない。
しばらく小首をかしげていたが、はっとしたように手を叩く。
「ああ、胸が病気なの?」
ヤカミヒメは、何と返事して良いか分からなかった。ヤチホコは、返事がないので、胸が病気なのだと早合点して納得したらしい。
「よく分からないけど、お母さんのおまじないかけてやろうか?」
ヤチホコは、ヤカミヒメの手をとり、引き寄せて、胸の中へ抱き寄せた。

何故だろう。こんな子どもに。ヤカミヒメの胸の痛みは消えた。消えたけれども、こんどは、胸が苦しく、息が辛くなった。ヤチホコは、背中からヤカミヒメの胸に手を当てて、何やら呪文を唱える。
そうして、しばらくじっと抱き締めていたあと、ぽつりと呟いた。
「僕の兄者も病気なんだ。みんな兄者が病気だって知らない。兄者とお父さんの秘密なんだ。お母さんのおまじないも、兄者は信じないから、僕がいつも秘密でおまじないかけてる。」
ヤチホコもまた、話してしまってから、ちょっと言葉につまった。実は、ちょっとしまったと思った。
兄者の病気は、お父さんと兄者の秘密なのだ。
ヤチホコには、まだ誰にも言えないことがあった。こちらは、ヤチホコとお母さんとの間の秘密だ。
あちこち秘密だらけで、どうやってこれで家族が支えられているのかよくわからないけど、、
やっぱりヤチホコは兄者が大好きで、はばからず兄者の盾になり、兄者を支え、兄者の脚の痛みを少しでも和らげたいとは思うものの、父親が兄者の病気を隠している以上、自分もそれに従うことが、家族を護ることだとは理解していた。

ヤカミヒメは、自分の体に何か変調を感じた。
長い間成長しなかったヒメの体の奥底で、何かがゆっくりと溶け始めた。
たいていのことの成り行きは分かるヒメだったが、 5歳のヤチホコは、ヒメにとっても、全く分からない存在だった。

(「神だわ」)

ヤカミヒメは、胸の支えがとれると共に、ゆっくりと呼吸が戻り、そして、ヤチホコの小さな体に支えられて、意識を失った。 
< 6 / 38 >

この作品をシェア

pagetop