S系上司に焦らされています!
余計なことを考えるよりも、やるべき仕事を片付けるほうが先だ。
二階フロアに到着し、カードキーの認証をしてドアを開けると、うんざりするほどいつもどおりの光景が眼前に広がっている。
手前から窓側に向けて縦長に配置された机には、それぞれの社員のデスクトップパソコンが並ぶ。窓際のお誕生日席が、七瀬さん。その机だけが入り口に向かっていて、次からは対面で二列に配置されている。七瀬さんの席から見て左側は、背中の後ろにロッカーが並び、右側は営業ユニットの机が背後にある。
わたしの所属するシステム開発第三ユニットは、ユニットメンバーが十三名、リーダーが七瀬さんで、その下にチーフがふたりいる。片方がさっき会った市原さん。
中途採用で入社してから一年、ずっと同じユニットに所属しているけれど、他ユニットの社員と一緒に仕事をすることはほとんどない。
同じ会社で働いているといっても、話したことがないどころか顔を知らない社員もたくさんいる。
現在、わたしが扱っている案件では同じユニットの高槻さんと一緒に作業をしているものの、彼とも必要以上に会話をしたことはなかった。
――まぁ、なんというか高槻さんがちょっと独特というか、仕事はできるのだけれど無口というか? 若干、とっつきにくい感じだし。
「相沢さん、おかえりなさーい。七瀬さん、だいぶ危険モードですよ」
ファッションと恋愛には尋常ではない興味を持っているけれど、仕事と名のつくことの大半が嫌い、という新入社員、新島さんがわたしにこっそり声をかけてくる。
ふわふわのカールした髪に、ピンクのワンピース、本当に新島さんがいるとデスマ続きのおぞましい会社と別空間なのではないかと思えるほどだ。
「……何か、あったの?」
「えーと、高槻さんと相沢さんの案件、クライアントさんがぶちきれ? みたいな話でしたけど」
……それは何かあったどころじゃない危険な事態じゃないか。
「相沢さん、ちょっといいですか」
窓際から件《くだん》の七瀬さんがわたしを呼ぶ。
遠慮いたします、なんて言えるはずもなく、背筋を悪寒が駆け抜けた。あの声の感じからして、かなりお怒りのような、いや、いつもあんな感じといえばあんな感じだけれども……。
「はい」
「早く」
駄目だ、絶対怒ってる。
わたしはすでに心の中でだけ半泣きで、早足で七瀬さんの机に向かった。
ドSEこと七瀬博彰という名の上司は、自分で呼びつけておきながら机の脇に立ったわたしを一瞥もせずにパソコンの液晶を見つめる斬新な放置プレイに徹している。
「……あの、七瀬さん、なんでしょうか」
耐え切れずに声をかけると、絶対零度の視線がわたしを射貫いた。ヤバイ、心臓が耐え切れるか危険な気がする。
「シグメラルド社に出向してる契約社員の木津さん、出社してないらしいね」
「えっ」
シグメラルド社の保険管理システムは、この一カ月、わたしと高槻さんが受託で抱えている案件だった。先方からシステムを深く理解するために常駐スタッフをひとり入れてほしいと言われ、急遽面接をして採用したのが木津さんである。
業務経験が長く、スキルもじゅうぶんな四十代の木津さんは、なんだか頼りがいのあるおじさんに思えた。わたし自身、技術面では不安が多いせいかもしれない。
今回は契約社員として出向してもらっているため、毎日の業務報告はわたしがメールで受け取っている。
「さっきシグメラルド社の進藤マネージャーから電話があって、今回の案件はほかにまわすって言われたよ」
「そんな……」
我が社——DAT高杉ソフトウェア株式会社には大手のつながりがいくつかあるのだけれど、その中でも大手電気機器会社であるシグメラルド社の関連業務が多い。
「木津さんの業務報告を毎日受けているのは相沢さんでしょ。なんで知らないの」
いやいやいや、業務報告は毎日メールできて……あれ、でも昨日は来ていないかもしれない。いや待って、一昨日も、もしかして……。
血の気が引くとはこういうことか。わたしは顔面蒼白で頭を下げた。
「……すみません」
この数日、木津さんからの業務報告は届いていない。自分の業務で手一杯で忘れていた。
「木津さんの業務状態を把握しておくのは誰の仕事だっけ」
エマージェンシー、エマージェンシー! 頭の中で赤いランプがくるくる回転している。
二階フロアに到着し、カードキーの認証をしてドアを開けると、うんざりするほどいつもどおりの光景が眼前に広がっている。
手前から窓側に向けて縦長に配置された机には、それぞれの社員のデスクトップパソコンが並ぶ。窓際のお誕生日席が、七瀬さん。その机だけが入り口に向かっていて、次からは対面で二列に配置されている。七瀬さんの席から見て左側は、背中の後ろにロッカーが並び、右側は営業ユニットの机が背後にある。
わたしの所属するシステム開発第三ユニットは、ユニットメンバーが十三名、リーダーが七瀬さんで、その下にチーフがふたりいる。片方がさっき会った市原さん。
中途採用で入社してから一年、ずっと同じユニットに所属しているけれど、他ユニットの社員と一緒に仕事をすることはほとんどない。
同じ会社で働いているといっても、話したことがないどころか顔を知らない社員もたくさんいる。
現在、わたしが扱っている案件では同じユニットの高槻さんと一緒に作業をしているものの、彼とも必要以上に会話をしたことはなかった。
――まぁ、なんというか高槻さんがちょっと独特というか、仕事はできるのだけれど無口というか? 若干、とっつきにくい感じだし。
「相沢さん、おかえりなさーい。七瀬さん、だいぶ危険モードですよ」
ファッションと恋愛には尋常ではない興味を持っているけれど、仕事と名のつくことの大半が嫌い、という新入社員、新島さんがわたしにこっそり声をかけてくる。
ふわふわのカールした髪に、ピンクのワンピース、本当に新島さんがいるとデスマ続きのおぞましい会社と別空間なのではないかと思えるほどだ。
「……何か、あったの?」
「えーと、高槻さんと相沢さんの案件、クライアントさんがぶちきれ? みたいな話でしたけど」
……それは何かあったどころじゃない危険な事態じゃないか。
「相沢さん、ちょっといいですか」
窓際から件《くだん》の七瀬さんがわたしを呼ぶ。
遠慮いたします、なんて言えるはずもなく、背筋を悪寒が駆け抜けた。あの声の感じからして、かなりお怒りのような、いや、いつもあんな感じといえばあんな感じだけれども……。
「はい」
「早く」
駄目だ、絶対怒ってる。
わたしはすでに心の中でだけ半泣きで、早足で七瀬さんの机に向かった。
ドSEこと七瀬博彰という名の上司は、自分で呼びつけておきながら机の脇に立ったわたしを一瞥もせずにパソコンの液晶を見つめる斬新な放置プレイに徹している。
「……あの、七瀬さん、なんでしょうか」
耐え切れずに声をかけると、絶対零度の視線がわたしを射貫いた。ヤバイ、心臓が耐え切れるか危険な気がする。
「シグメラルド社に出向してる契約社員の木津さん、出社してないらしいね」
「えっ」
シグメラルド社の保険管理システムは、この一カ月、わたしと高槻さんが受託で抱えている案件だった。先方からシステムを深く理解するために常駐スタッフをひとり入れてほしいと言われ、急遽面接をして採用したのが木津さんである。
業務経験が長く、スキルもじゅうぶんな四十代の木津さんは、なんだか頼りがいのあるおじさんに思えた。わたし自身、技術面では不安が多いせいかもしれない。
今回は契約社員として出向してもらっているため、毎日の業務報告はわたしがメールで受け取っている。
「さっきシグメラルド社の進藤マネージャーから電話があって、今回の案件はほかにまわすって言われたよ」
「そんな……」
我が社——DAT高杉ソフトウェア株式会社には大手のつながりがいくつかあるのだけれど、その中でも大手電気機器会社であるシグメラルド社の関連業務が多い。
「木津さんの業務報告を毎日受けているのは相沢さんでしょ。なんで知らないの」
いやいやいや、業務報告は毎日メールできて……あれ、でも昨日は来ていないかもしれない。いや待って、一昨日も、もしかして……。
血の気が引くとはこういうことか。わたしは顔面蒼白で頭を下げた。
「……すみません」
この数日、木津さんからの業務報告は届いていない。自分の業務で手一杯で忘れていた。
「木津さんの業務状態を把握しておくのは誰の仕事だっけ」
エマージェンシー、エマージェンシー! 頭の中で赤いランプがくるくる回転している。