今しかない、この瞬間を
そんなある日のことだった。

バスに乗る子供たちを迎えに別棟の階段を上って行くと、コート脇のベンチに、朱美さんが一人で座っているのが見えた。


見慣れた光景のはずなのに、何故かイライラした気持ちになる。

だけど、こんな時、さわやかに「こんにちは」って挨拶するのも私の仕事。

とりあえず、営業スマイルを作って声をかけた。


すると、彼女は振り返って、ちゃんと笑顔で挨拶してくれた。

適当な返事しかしないお母さんも多い中、とても感じの良い対応だと思うし、何度見ても本当にきれいな人だ。

悔しいけど、彼が好きになるのもわからなくはない。


だけど、ちゃんと愛してあげられないなら、彼に近寄らないでほしい。

中途半端な愛し方しかできないくせに、当たり前みたいな顔して、そのポジションに居座っていることが許せない。


こんなに好きになっても、いつも一緒にいても、私は彼に「友達」とか「妹」くらいにしか思ってもらえない。

それは、あなたがそこにいるせい。

あなたが彼を苦しめているせい。

嫉妬しても、どうにもならないってわかってるのに、本人を目の前にすると、そんなドス黒い感情が芽生えて来る。


自分で言うのもなんだけど、私ってこんなに嫉妬深いイヤな女だったかな?

テニスコート側に立っている私に気付いていない彼が、何度もこっちをチラ見しているのに、陽成くんを目で追うのに夢中でまったく反応しない彼女に、言いようのない腹立たしさを覚えてしまう。


母親なんだから当然だと思う気持ちが、彼を愛しいと思う気持ちに勝てない。

抑え切れない思いが、尖った言葉になって現れる。
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