ワケあり彼女に愛のキスを
その日、舞衣が帰ろうと職員用出入り口に向かって歩いていた時、たまたま優悟と一緒になった。
帰る家が同じなわけだから、一緒の道を通る事になるわけだが。一緒に帰っているなんて噂が立ったらマズイと思い、舞衣は「お疲れ様です」と他人行儀に告げてから早足で進み、ドアを開け外に出る。
そして、大通りに出てからも速度を意識して歩いていたのだが。会社から数百メートルも離れていない場所で、なんなく優悟に追いつかれ隣に並ばれてしまった。
誰かに見られたら……と思い、後ろを振り返りキョロキョロとする舞衣に、優悟は隣を歩きながら「誰も見てねーだろ」と確認もせずに言い切る。
誰かに見られたら困るのは優悟の方なのに……と口を尖らせる舞衣を横目で見た後、優悟がふっと笑みを浮かべた。
舞衣の浮かべた表情が可愛かったからではない。舞衣と出逢った時からは考えられない自分の心境の変化にだった。
出逢った頃は、舞衣となんか噂になったら堪ったもんじゃないと思っていたハズなのに。
社内で会話だとかこんな風に一緒に帰るだとか、考えられなかったのに。今は……もうそんな事はどうでもよかった。
例え周りに色々言われたところで仕事がやりにくくなるほどではないし、早い話がそこに影響が出ないならもうどうでもよかった。
人通りの多い道を、しばらくただ黙ってふたりで並んで歩いていた。
優悟は舞衣につられる事が最近は多いものの、もともと口数が多い方ではない。一方の舞衣は、賑やかだとか騒がしいという言葉が相応しいくらいひとりでも話すが……今はそんな事もなく、静かに目を伏せ歩いていた。
穏やかな、夏の温度をした向かい風が舞衣のふわふわとした髪を掬いあげ揺らす。
そんな様子を横目で眺めていると、不意に舞衣が「秀ちゃんにね、なんとも思われてない事は知ってたの」と静かに話し出した。