ペットな彼女
ペットの躾

ようやく2人きりになった事で、私の頭の中は現実に戻ってきたようだ。

智明さんの部屋に着いて、私はとりあえず脱力した。
父親が私の為にと色々してくれていたことはとても感謝している。
智明さんと結婚出来るようにしてくれていたことも凄く嬉しい。
嬉しいよ?
嬉しいけどさ。

もっと心に優しいサプライズは用意出来なかったの!?
普通に「そういう話になっているから」と一言言ってくれれば、私ももっと心の準備とか色々出来たのに…

それ以前に、智明さんはこの事をどう思っているのだろうか?
勝手に結婚相手を決められて、しかも相手はペットとしてあれこれしていた女だ。

どう考えても私は智明さんの本命とは言えないだろう。
もしかすると、私とすっぱり離れたいから大分で好みの女性と結婚するつもりだったのかもしれないのだ。


「……あの、話って?」
智明さんから「話があるからうちに帰ろう」と言われてのこのこ付いてきてしまったが、正直ヒヤヒヤしている。

"こんな話は無効だ。"と言われる確率90%以上と推定済みである。
むしろそれが自然な話だ。
だって智明さんは私ではない別の女性と結婚するつもりだったのだから。
ただ少しの期待を込めて残りの5%くらいは、引越し準備とかで疲れている智明さんがとち狂ってこのまま私と結婚してくれないかな〜と淡い期待も勿論捨ててはいないのだが。


少しの時間だったが、智明さんのお嫁さんになれた気分を味わえたし、皆からも祝福して貰えて私はもう十分過ぎるほどの思い出を貰えた。

「……まぁ、とりあえず一旦落ち着こうか。」

智明さんが言った一言目はそんな言葉だった。
ちょっとだけほっとしながらいつも通り定位置である私の座椅子に座った。


………ん?
ちょっと待て。
座椅子ある…。


「智明さん、"これ(座椅子)"捨てないでいてくれたの?」

「……これだけはどうしても捨てたくなかった。」

と智明さんは言ったが、部屋のダンボールをよく見ると私の私物を集めて要らないものは処分すると言っていたダンボールもそのまま置いてある。
私が要らない物はそのまま自分の物とまとめて捨てるからそのままで大丈夫と言われたので置いていたが、まさか捨てられるどころか連れていかれる予定だったとは…

「私の物捨てずに持って行くつもりだったの?」

「俺の部屋にあるものは俺がどうしようが勝手だろ。」

とんだジャイ〇ン発言である。
もしかして、智明さんも私と離れるのが辛かった?
"寂しい"くらいには思ってくれていたのかもしれない。


智明さんは諦めたように私の前まで来ると、座椅子を抱きかかえるように屈んだ。
驚く間もなく"ちゅっ"とリップ音がした。

「……智明さん…?」

「…1週間我慢してたんだから、もっとさせろ。」
そのまま何度も触れ合うだけのキスが繰り返される。

思ってもみなかった展開に私はいつものごとくされるがままだ。
躾られたペットとは恐ろしい。
智明さんが何を望んでいるのか何となくくらいは分かるのだ。



しばらくキスをした後、智明さんは私をぎゅっと抱きしめながら静かに話し始めた。

「…美晴はずっと東京で過ごしてきたから分からないだろうけど、大分の温泉街は本当にこことは全く違うぞ。」

「……そうなんだ。どんなところなの?」

「良くも悪くも山しかない。」

「………。」

「…そんな所でお前は暮らせるのか?」

「………。」

「買い物だってなかなか出来ないぞ。バスも電車もほとんど来ない。車で移動するのが当たり前なところだ。美晴、ペーパードライバーだろ。」

「……ふふっ」

私が笑うと、智明さんは何笑ってるんだと言いたげな様子だ。
でも幸せ過ぎるから仕方ない。

「どんなところだって構わないよ。智明さんがいる世界が私の全てだもん。小さい頃からずっとずっと変わらないよ。
東京はもちろん生活しやすいけど、智明さんのいないところにいても、私は私じゃいられない。
"私のこと連れて行って"って前にお願いしたの忘れたの?」

黙って聞いていた智明さんは更に私をぎゅっと抱きしめると

「後悔しても知らないからな。数年後に"こんなオジサンについて行くんじゃなかった"とかナシだぞ。」

「それを言うなら智明さんすでに"オジサン"世代じゃない?大丈夫だよ。私智明さんならおじいちゃんになっても好きだから。」

「……それ、フォローのつもりなら間違ってるぞ。」

抱きしめられてて顔は見えないけど、智明さんも嬉しそう。
私もぎゅっと智明さんを抱きしめる。

「ずっと一緒にいたい。私、智明さんの試作品食べるのも、一緒にメニュー考えるのも大好きだよ。ビジネスパートナーとしても優良物件だと思う!」

「…分かったよ。」

ようやく智明さんは観念したようだ。

「じゃあ、今日から美晴は俺の"婚約者"。まぁペットが良ければそのままでも構わないけど?」

「可愛がってもらえるならどっちでも!」

「……おいおい、お前正気か…。」



****



それからの1年はあっという間だった。
私は管理栄養士の資格試験の勉強と、旅館での作法についても勉強したりで頭の中が何度もパンクしそうになったが、智明さんの奥さんになれる!という執念だけでどうにか乗り切ることが出来た。

遠距離も、1年後には一緒に暮らせると思えば想像していた程辛くはなかった。

私よりも智明さんの方が何だかんだでマメに連絡してきてくれて、やっぱり世話好きなんだなと感心したくらいだ。


そして、私はとうとう大分へ!
智明さんが言っていた、"良くも悪くも山しかない"の意味が何となく分かった。

でも、空気は美味しいし、温泉で肌の調子も良いし、温泉街は観光客で賑やかで、落ち着いた街並みに、私は直ぐにこの街が好きになった。
何より、四季折々の風景がこんなに綺麗だったなんて私は初めて知ったのだ。
今では2人の休みの度に智明さんの運転する車に乗って山道をドライブする事が私の1番の楽しみとなっている。

私は旅館の仲居として修行に明け暮れながらも管理栄養士としての仕事ももらっており、
智明さんは私の馴染みっぷりに最初のうちは驚いていたが、もう慣れたようだ。


後に、智明さんのお姉さんである由季さん夫妻がこの旅館を継ぐことになった。
弟夫婦である私達も共にサポート役として裏方に徹している。




****

「美晴ー!散歩の時間だぞ、さっさと準備しろ!」

「智明さん準備早いよー、もうちょっと待って!」

「ママー、おそーい!ちーちゃん待ちくたびれた!早くお散歩行きたい!」

私達家族恒例の山道ドライブは"お散歩"。
智明さんが、私とドライブに行くことを"(ペットの)散歩"と言うのをやめないせいで、娘まで"お散歩"と呼ぶようになってしまっている。

そして1番厄介なのが、息子だ。

「車うんてんできるようになったら、ぼくが、ママをお散歩につれていくんだから!」

それを聞いて智明さんはニヤニヤしている。

「残念だが、ママを"お散歩"に連れて行っていいのはパパだけなんだぞ。」

「あー、ママ真っ赤になってる〜」
娘の千晴(チハル)がそう言うと息子の孝明(タカアキ)は「ずるい、ずるい!ママはぼくのおよめさんになるんだから!」と拗ね始めた。

智明さん、悪ノリはやめてください……

私は智明さんの妻兼"ペット"というポジションを、成長した娘と息子にだけは悟られないようにする事が今1番の目標である。













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