あなたと月を見られたら。
高級住宅街を抜け、駅前の細い路地に入ると遠くに緑色の屋根が見えてきた。古い木目の外観にアンティークな雰囲気満載の彼のお店が足を進めるごとに私の目に大きく映る。
「ハァ、ハァ…っ!」
ラ ベル リュヌと書かれた看板の前で、上がる息を必死にこらえて。ガラス窓の向こうにいるはずの彼を想って、ヨシ!と覚悟を決めると私はお店の扉に手をかけて、入り口の扉をグッと引いた。
カランカランと来客を告げるベルが鳴り
「いらっしゃいませ」
彼の涼しく柔らかな声が聞こえただけで泣きたくなった。一歩中に入って、声の主の方を見つめると
「……美月。」
彼は驚いたように目を見開いて動きを全てフリーズさせた。
シュワシュワとお湯の沸く音に、香ばしいコーヒーの香り。目の前にある小さなショーケースの中には、昔味見させてもらった桃のムースが並べられている。
高級なカップが並ぶ食器棚。間接照明に照らされて光る店内に、ギャルソン姿で佇む龍聖。私の目には龍聖しか映らない。きっと彼もそうだったんだと思う。
会えなかった時間、すれ違っていた時間を埋め合うように無言のままで身動き一つせずに見つめ合っていると
「……龍聖?」
彼の目の前のカウンターに座っていたお客さんが、不意に彼の名前を呼ぶ。
その声にハッとした彼が、お客さんの方へ視線を移すと
「私がいるのにいい度胸してるわよね。よそ見なんて。」
そう言って彼女は笑う。
ーーこの人…!!
この声、この姿、忘れたくても忘れられない。
龍聖の前に座っていた彼女はあの日、イルクォーレホテルで龍聖に抱きついていた、あのオンナの人だった。