砂漠の賢者 The Best BondS-3
「金持ちはこんなトコまで掃除してんの……?」
もっと汚いかと思われた通気孔内は意外と綺麗で。
埃は多少落ちているが、蜘蛛の巣などは張っていないようだ。
がちゃり、と音がした。
誰かがトイレに入ってきたようだ。
通気孔を慌てて閉めた時に小さく音を放つ。
まあ気付かれることも無いだろう。
まさか通気孔に人が居るなどとは夢にも思わないだろうから。
エナは投げ入れたバッグからきらきらと光る長い糸を取り出した。
私服の時には必ず付けている糸のようなベルトだ。
それを何重にも折りたたんで、ポーチと一緒に腰に巻きつけ、這うように進む。
一度入ってしまえば、そこまで窮屈ではなく、四つん這いで楽々通れてしまう。
このまま、あの異常に広い客間さえ越え、適当なところで降りれば見張りも多くないだろう。
閉鎖された通気孔の中は静かで、遠くに雨の音を聞いた。
音をうまく消してくれる恵みの雨だ、とエナは思った。
とはいえ、一月程前の一件で雨には辟易していたのではあるが。
「……こっちは……」
すぐに分かれ道が来た。
片方は方向からして男性用の手洗いに繋がっているのだろう。
だから、ここは迷わない。
「……ああ、靴が邪魔……」
つま先が固い靴は四つん這いで進むには適していない。
ぶつくさと文句を垂れていると、前方、左側に光がのぞいた。
そろりと覗くと、そこは先ほどの大広間。
輪の中に居るよりも、上から見るほうが更に滑稽な光景。
酒に酔い、大胆になった女性が色目を使い始めている。
息子がその場に居ないのだから、当然父親の方に。
侵入者の立場としては、酔ってくれていたほうが嬉しいのだが、同じ女性として、心境は複雑だ。
――ってか、これ、どう通れと……?
黄色のドレスを着てきたのは間違いだったかなと思う。
女性群に混ざるには目立たない色だが、こんな場所を通るにはいささか目立ってしまう。
――ま、こんな時の為の乙女のエチケット、でしょ。
ポーチからハンカチを取り出す。
片面が黒で、もう一方が白という、冠婚葬祭両用の便利な代物である。
乙女のエチケットとしての使い方を間違っている自覚は残念ながら彼女には無いらしいが。
それを黒色を表にして通気孔に押し当てる。