砂漠の賢者 The Best BondS-3
「舌入れたら噛み付きます?」
悠然と問うその男の顔に唾を吐きかけてやる。
「やって、みれば?」
それを袖で拭き取りながら、男がうーん、と考える。
其の目には狂気。狂喜に近い狂気。
「うん、今はやめておきましょう」
「……ちっ……」
唇でもなんでも噛み切ってやろうと思っていたエナは素直に舌打ちをした。
それを感じ取った男は「貴女なら、そうするでしょうね」と笑った。
その明らかに強者の笑い声がどれほど癇に障るか。
男が顔を埋めた首筋に、痛み。
「痛っ!」
エナは弱者では無い。
この期に及んでもエナはエナだ。
強い光を宿したままに睨みつける。
そこには恐怖など微塵も映っていない。
「貴女、自分の立場、わかってます?」
おもしろいですねー、と男が喉をならす。
「立場? あたしはあたしよ。あんたと並べないで」
「面白いことを言いますねぇ。並べてなどいませんよ。貴女は、弱者なんですから」
男の手が内腿に触れる。
エナは何の反応も示さず、ただ睨みつけた。
「ワインの中に媚薬を入れておいたのですが……効いてないようですね」
媚薬という単語に知識を結び付ける。
性的な誘引剤だと気付き、エナは鼻で笑った。
「相手によるんでしょ」
「言ってくれますね」
男の手が内腿を探る。執拗に。
気持ち悪かった。
男の手そのもの、というよりも、好き勝手触られるという事実が気持ち悪かった。
「……ね、叫んでいい?」
不快指数が振り切れてエナは尋ねた。
勿論、相手の返答などなくても叫ぶつもりだ。
牽制の、つもりだった。
だが、男はその言葉に笑みのまま答える。
「誰も来ないと思いますが……どうせなら、男の名前にしてくださいね」
――興奮するから。
言外に伝わってきた言葉に、エナは唇を噛み締めた。
もうこの際、誰に見つかろうと構わない。
騒ぎを大きくしようとも、たとえ一瞬でもこの男に隙を作れるならば、後がどんなことになろうとも構わない。
――何がムカつくって……こいつの思い通りになるのがとにかくムカつく!!
胸の辺りに寄せられる唇。
足の間で蠢く指。
暴れながら、大きく息を吸い込む。
叫ぶ言葉は決まっていた。
絶対に、男の名前など口にしない。
思い通りには、なってやらない。