欲しがりなくちびる
やっぱり浩輔は、絵を諦めている訳ではなかった。なのに、どうして朔のまえでは興味のない素振りをするのか分からない。 

「この前はね、随分ときれい事を言いましたが、この世界はコネが物を言う世界でもあるんです。浩輔君は、きっとそういう部分が嫌なんでしょうね。彼は学生時代にも有名な画廊から声を掛けられていたんですが、それを全て断って就職しました。絵に没頭するには、後ろ盾がなければやっていけない。いわゆるパトロンです。そういう世界に身を置くよりは、しっかりと地に足を着けて生きていこうと思ったのでしょう」

それまでキャンバスを見つめていた相馬は私を振り返ると、目元を細めて頷いた。

「でも、浩輔は才能があるから声を掛けてもらえたんですよね? 自分の好きなことでお金を稼ぐのって、私は一番幸せなことだと思います。なのに、どうして浩輔はそれを嫌がるのか、私には分かりません」
 
誰だって、ほんの一握りの人にだけ許された、夢に生きる特権に憧れるはずだ。そう思いながら相馬を見つめ返せば、彼は考え込むように自分の顎を撫でる。そして一呼吸置いたのち口を開く。

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