わたしはあなたを、忘れない
「あ」
ど緊張で、顔を上げられない私の横で、
椎名くんは自分のかばんを開け。
「ん」
と、何かを差し出してくれた。
見るとそれは、海苔が巻かれた、
美味しそうなおにぎりで。
「梅干し食える?」
「え、た…食べられるけど」
「じゃあ丁度いいわ。やるよ」
椎名くんの持っているおにぎりは、
他の何よりも美味しそうに見えた。
遠慮すると、強引に持たされ。
「俺、梅干し食えねえし」
「でも…」
「腹、減ってんだろ」
そう言いながらかばんを閉めると、
少し浅めに座って、イスにもたれかかった。
「いただきます」
「ん」
そこはまるで、
2人だけの空間のような。
そんな気分で。
「お母さんが握ってくれたの?」
「そう。いらねーって言ったのに」
ここぞとばかりに話しかける。
今、この瞬間だけでいい。
私と話してくれるなんて、
嬉しい他、何者でもない。
「優しいんだね。私のお母さんなんて、朝起こしてもくれなかったよ」
「朝ぐらい、自分で起きろよ」
「私、朝すっごく弱いの。ダメだって、分かってるんだけど」
「ガキだな、鈴原は」
何だよ。
そう思いながら、
おにぎりを口に頬張る。
美味しすぎて、つい涙腺が緩む。
美味しすぎて、緩むんだ。
「美味しい」
「もう1個、食うか?」
「まだあるの?」
お母さん、どれくらい
作ってくれたんだろう。
そう思いながら椎名くんを見ると。
椎名くんは、少し下から、
私を覗き込んでいた。
「まじでガキだな、結子ちゃん」
"結子ちゃん"
椎名くんは、ふいに私の名前を呼んで。
「んっ…」
「じっとしろ」
私の顔に手を伸ばすと。
唇の近くに軽く指を当て。
「ここに海苔、ついてんぞ」
と教えてくれた。
初めて、触れられたから。
もう心臓がパンクしそうで。
「こ、ここ?」
言われた所に自分の手をやる。
「違う。もっと右」
「…ここ?」
「もっと」
「……ここ?」
「そこ」
海苔を取ると、
またガキだと笑われた。
だけどそんなこと、
お構いなしで。
私にとってこの空間が、
他の人の当たり前なものでも。
何より特別で、何より幸せなもの。
ドキドキが止まらなかった。