眠れぬ夜をあなたと
「なにか言われた?」

あの人しかいないだろうに、あえてぼやかした聞き方は、我ながら回りくどい。

ケイは口を噤んで、私を見下ろす。

「……嫌な気分にさせたならごめんね。ケイみたいな若い子にまで、クダをまくとは」思わなかった、と声にしようとしたところで、ケイの左手に口をふさがれた。

「なんで志垣さんのために美湖さんが謝るの? あの人はオーナーの友達ってだけでしょ。それとも、あのひとも特別なひとかなにかなの?」

勘違いに答えようにも、私の口はケイの手で覆われたままで。

その彼の手を外させる手っ取り早い方法を思いつき、すぐさま実行に移した。

ぺろりと舌先で、彼の手の平をくすぐってやったのだ。

驚いたケイは案の定、私から手を放した。

「もうっ、なんで美湖さんって予想外のことするのかなっ」

ケイは、舐められた自分の手の平と私を交互にみつめて、変な顔をしている。

ちょっと舐めたくらいで動揺し過ぎのケイは、心底かわいらしい。こんなことくらいでその態度じゃ、お店でうまいこと客をあしらえているのか怪しいところだ。

「……私、志垣さんに嫌われてんのよ。前からね。そのうえ、就職も蹴っちゃったし」

「あのひと出版社のひとでしょ? それって、やりづらくないの」

「一応、大人だからね。あのおっさんも」

「でも、大人ならなおさらだね。美湖さんもオーナーもいないときにわざわざ俺を呼んで、あなたを話題にしてさ、こき下ろすことないと思う。一緒に来てた会社の人も困ってたはずだよ、表情筋が固まってたもん」
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