あたし、『魔女』として魔界に召喚されちゃったんですが。[2]


 さてと。

 あたしにもやるべきことができた。

 普段着にしていたワンピースから、素早く簡単な軍服に着替えると、髪を手櫛で整え、部屋を後にする。

 ノックをする間も惜しくて、そのまま扉を開けてしまいたかったけれど、そういうわけにもいかず、右手の中指の背でドアを叩く。

「どうぞ」と、低い返事が返ってくるときには、すでに扉を押していた。

 カカオは、軍服姿のままでデスクで忙しなく書類整理に取り組んでいるようだった。

 尋問から帰ってきてその内容をまとめているらしい。

 うまくいっていないのか、表情は暗いままで、あたしが入ってきたというのに、視線を書類に向けたまま顔をあげなかった。


「突然ごめんなさい。早急に報告したいことが」

「サクラ様が来ていただろう。そのことも関係しているのか?」


 忙しかったろうに、きちんとわずかな魔力の揺らぎを感じ取っていたんだ。

 さすが、というべきか。

 こちらを見ないまま、問いかけられたその言葉に頷きつつも、先ほど紗桜との会話でたどり着いた結論を口にする。

 すると、彼は話が進むにつれて徐々にペンを動かす手を休め、こちらを見て話を聞いていた。

 そして一呼吸おいて、一言、「確かにな」と呟いた。


「同時期に共通点のある事件が起きれば、そう考えるのが妥当だろう」

「でしょう。ルクティア、なんてほとんどここじゃ聞かないんだもの。一度にルクティアに関連のある事件が起きるなんて、関係してないって考える方がおかしいと思う」

「だな」

「まだ使い魔行方不明事件の理由とかは詳しくわかってないけれど、ルクティアが関係してるって以上、カカオに知らせておかないとって思ったの。国際的な問題だし、あたしだけで処理はできないと思って」

「そうだな。これは一度、ルクティアに直接訪問して権力者に問いただしてやりたいところだか、証拠も連絡手段もないしな」

「それが問題だね。ただでさえ、あたしたちはルクティアに関する知識がほとんどないんだもの。下手な動きは取れないし」


 ルクティアとの唯一の連絡手段は今のところ紗桜しかいない。

 ルクティアとの交渉は紗桜に委ねられている。

 彼女が、頑張ると言っていた。

 その言葉を信じたい。

 あらかた、調べた情報をカカオに伝え終わると、全て書類に書き込んでいたが、全て会話と同時に書いていたからか、すぐにペンを机に戻した。

 そして、目頭をぎゅっと指で押さえている。

 疲労している様子が、見て取れる。

 魔力が不安定で、揺らいでいる。

 クマができているし、目はどこか潤んでいてまともに睡眠すら取れていないのだろうか。

 彼の身体が大丈夫なのか不安になってしまう。

 このまま、過労で倒れてしまわないか。

 彼の仕事の多さも、国王という重責も、分かっているつもりだった。

 だから、隣に立って彼を支えて、守って、共に歩みたいと思っていた。

 けれど、こうしてみれば、彼は違う世界の人に思えてしまう。

 心配をかけないように、普段あたしの前で、無茶をしているのではないだろうか。


「助かった。正直煮詰まっていたんだ」


 先ほどより、少し柔らかな口調でカカオは話しかけてきた。


「……捕まえたあの人は、何か供述したの?」

「……いや、黙秘を続けている。だから進展せず、困っていたんだ。少しでも情報が入ってきて助かる」


 彼も疲れているのに、それを感じさせないようにして、あたしに対する気遣いも忘れなくて、本当に凄いと思う。

 ああ、大人だなって、嫌に実感してしまった。

 紗桜にも助けられて、こうやって事件に関する情報は集まっている。

 あたしは二人のためになにかできたのだろうか。

 思わず俯くと、ブーツの先が視界に入った。


「──まお」


 ふと、名前を呼ばれる。

 耳朶を擽る、柔らかな声。

 顔を上げると、椅子に腰掛けたまま、彼は手招きをする。

 普段、そんな風に名前を呼ばないくせに。

 こんなときに限って、優しく、甘く、名前を呼ぶなんて。

 けれど、逆らうなんて意志はなくて、あたしは素直にあたしと彼の間にある机を回って彼に近づいていく。


「おいで」


 甘く、とろけるように囁かれて、きゅう、と胸が苦しくなった。

 導かれるようにして彼の前に立てば、手首をその大きな手で包み込まれ、引っ張られて、気づけば彼の足の上に横抱きにされていた。

 全身を包む、シトラスの香りと温もりが心地いい。

 どきどきと自分の鼓動の音が、大きく聴こえているけれど、それ以上にあたしを支配しているのは安心感だった。


「しばらく、二人きりの時間がなかったからな」

「……うん」

「悪い、なかなか一緒に過ごしてやれなくて」

「……いいの」


 今、こうして一緒にいてくれるから。

 彼の胸に縋り付くように顔を寄せると、何かが髪に触れた。

 ゆっくりと、何度も滑り落ちていく感覚。

 大きくて、綺麗な手が、肩に着くようになった黒髪をなでている。

 最初はとても恥ずかしかったけれど、なんども撫でられるうちに嫌ではなくなっている自分がいて、とても安心できて、カカオもそれをわかっているから、二人きりの時だけ、撫でてくれることが増えた。


「寂しかった?」


 二人の時は、甘くて優しくて、とろけるような時間をくれる。

 恋人って、こんな風に甘えてもいいんだって、彼に教えてもらってから、あたしはどんどん我儘になっていく。


「……ぎゅってして」


 そっと、囁けば、カカオは何も言わずに抱きしめてくれる。

 目を閉じて、彼に身を預けると、心の底から安堵できた。

 シュガーがいなくなってから、やっぱり心が張り詰めていたみたい。

 
「まお」


 また名前を呼ばれて目を開ければ、夏の空を思わせる宝石が、熱を帯びてこちらを見つめていた。

 とても綺麗な、あたしの碧。

 返事をするようにそっと、瞼を閉じると、優しく唇が重なった。

 何度も、何度も、優しく触れては離れて、次第に啄むような口づけに変わる。
 

「っ……ん」


 黒の革製の手袋がいつのまにか外されて、細くてしなやかで、けれど男らしい手が、優しく頬に添えられている。

 すすす、と耳朶の輪郭をなぞるように、指先が滑る。

 そのまま、顎の輪郭、首筋を辿って鎖骨へ。

 あたしは彼の胸に縋り付くことしかできない。


「っ、ふ」


 唇が一旦離されると、ようやく息を吸い込んだ。

 身体が、熱い。

 彼は顔を離すとあたしを自分の身体にもたれかけさせると、あたしの服に手をかけて、軍服の首元を寛げさせた。


「なに、を」


 あたしの言葉は聞こえていない、と言ったふうに、カカオは首筋に顔を寄せた。

 そして、また、口付けをおとす。


「ふ、ぁ」


 ぞくぞくとした感覚が、背中を走る。

 吐息が洩れて、顔が赤くなると、カカオはどこか満足げに笑った。


「首は、弱点か」

「っ、……わか、んな、い」

「初めてまおにキスしたのは、首だったか」


 そういえば、そうだっけ?


「アルバートに、噛まれた傷を……治してもらったんだっけ?」


 そんなことも、あったなぁ……なんてぼんやり考えていれば。


「今、あいつの名前は聞きたくない」

「んっ……!」


 普段のカカオからは考えられないような、焼き餅をやかれて、噛み付くようなキスが与えられる。

 あのことは、苦い思い出だからなぁ。

 あんまり思い出したくないのは、あたしもわかるけど。

 そんなことを考えていれば。


「今は俺のことだけ考えろ」

「っあ……」


 唇を舐められて、息が苦しくて、酸素を求めて口をわずかに開く。

 すると、啄むだけだったキスが、求められるキスになって。

 すぐに息があがり、思考がぐちゃぐちゃになる。

 背骨をなぞるように、指を這わせられると、ぞくぞくと身体が震えた。

 カカオが満足する頃には、頭がとろけて、力なくぐったりと彼に寄りかかることになった。


「すまない、無理をさせたか」


 緩く頭を左右に振る。

 息ができなくて少し疲れたのもあるけれど、今カカオに少し魔力を分け与えた。

 あたしの魔力は他人の魔力にも干渉するらしかった。

 以前から魔力が少なくなっていたり、不安定な時にカカオに魔力を供給することが何度かあった。

 特にカカオが肉体的にも精神的にも疲れている時に多く、恋人としてのふれあいのなかで行うことが多い。

 今回も、カカオは自分で思っていたより疲れていたようで、少し強引に魔力を奪っていった。

 それで魔力が尽きることはないけれど、他人から故意的に魔力を奪われるという行為は未だ慣れなくて少し疲れてしまう。


「最近、まおと触れ合えてなかったから」

「……あたしも、嬉しかったから、いいの」


 カカオと会えなくて寂しかったのは、本当だから。

 これからまた、忙しくなる。

 満足に会える時間がないかもしれない。

 互いにわかりきっていることだ。

 でも、それを口にはしない。

 言えば、余計に悲しくなってしまう。


「無茶だけは、しないでね」


 また、いつぞやの約束をして。

 もう一度、優しいキスが与えられて、抱きしめあって。

 あたしは、自分の部屋へと戻った。

 軍服を着替えようと、ボタンに指をかけると、ふわりと香るシトラス。

 先ほどまで心の中にあった、もやもやはもう無い。

 大丈夫、しっかり充電できた。


「頑張ろっと!」


 気合と共に、頬をぱちんと両手で挟む。

 瞼を閉じて、深呼吸をひとつ。

 瞼をあげて、鏡の中の自分を見つめる。

 誰よりも深い青が、濃い魔力を湛えてふたつ、浮かんでいた。



 自分に気合を入れて、あたしは今日も『魔女』になる。


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