あたし、『魔女』として魔界に召喚されちゃったんですが。[2]

「クコ」

「はい」

「あたし、確認してくるね」

「!わかりました」


 ソファから立ち上がると軽く身だしなみを整える。

 意識を研ぎ澄ませると、濃い魔力を感じた。

──いる。

 廊下に出て隣の扉の前に立つ。

 この部屋は王の──カカオの部屋だ。

 この部屋の扉は魔術がかかっており、出たい部屋を念じながら開ければその部屋にたどり着く事ができる。

 例えば、執務室と念じれば執務室に、寝室にと念じれば寝室に、といった具合だ。

 魔術自体は扉にかかっているので、カカオが寝室にいない場合廊下から彼の魔力は感じないはずだ。

 しかし、今確かに感じるその魔力は彼がここにいることを表していた。

 寝室にいるってことは今日は数少ないオフの日なんだ。

 彼が王になってから、もともと少なかった休憩の時間はさらに短くなっている。

 ふと、心の奥底で蘇る気持ち。

 彼に、魔女と王としてではなく、恋人として触れ合いたいという気持ち。 

 ぎゅっと目を瞑り、自分に言い聞かせる。

 駄目だ。

 今は王に仕える一介の魔術師として、会いに行くのだ。

 私情を交えるのは許されない。

 一つ、深呼吸をして、佇まいを直し、扉を叩く。


「──誰だ」

「まおです。聞きたい事があって参りました」


 形式張った言葉を並べる。

 久しぶりに聴いた彼の声に緊張して声が震える。


「入れ」


 許可が出ると、扉がひとりでに開いた。

 開いた先に立っていたのはまた少し大人になった彼の姿。


「久しぶりだな」


 オフの日だからか、どこか声色が柔らかい。


「そうですね」

「……気を抜いていいぞ」

「本日は拝聴したい事が」

「俺はオフだし、他に人もいない。きちんとわきまえるのもいいが、今はよせ。俺が許す」

「……わかった」


 カカオが王になってから、人前ではきちんと敬語を使う様にしていたけれど、カカオは二人きりの時は普通にしてくれという。

 けれど、それは所謂恋人として接している時のことだ。

 今は事件について聞きたかったし、恋人モードを封印しておくために、線引きしようとしていたのに。

 彼にそう言われれば、そうせざる負えなくなってしまう。

 顔を上げて改めて彼の姿をみる。

 VネックのTシャツの様なものに黒のロングのパンツといったラフな出で立ちで、本を読んでいたのか、片手に開いた本がある。

 Tシャツの首元から、鎖骨がチラリと覗き、金髪の隙間からは滑らかな曲線を描く喉仏が覗く。

 妙な色気がそこに漂っている。


「今日はどうした」


 本を閉じ、あたしを向かいのソファに座る様に促したカカオは、かけていた黒縁のメガネを外し、こちらを見た。

 夏の空を思わせる、紺碧の硝子玉が揺らめいた。

 この世界には、魔術が存在しているため、近視や遠視、乱視を矯正するためにかける眼鏡はほとんど使われていない。

 魔術をかけたほうが確実だし、半永久的に継続するためだ。

 しかし、お洒落のためやその人の気分によって眼鏡を使う人もいるので、眼鏡自体が存在しないわけではない。

 それにしてもカカオ、黒縁眼鏡、めっちゃ似合ってた。

 久しぶりのときめきに、心臓が変な音を立てる。

 にやけるのを抑える様にすると、変な顔になる。

 駄目だ、抑えようとすればするほど、変顔になる。

 けれど、強靭な精神力を引っ張り出して真顔になることに成功した。


「話があって」

「なんだ」

「実はクコから使い魔行方不明事件のことを聞いて……カカオなら何か情報を持っていると思って」

「ああ、その事か」


 カカオは僅かにその柳眉をひそめた。
 やっぱり王の耳には入っていたらしい。
 しかし、首を左右に振った。


「実は俺もよく分かっていないんだ」

「カカオも?」

「あまりに情報が少なくてな。まだ事件と言い切るにも確定要素がない。ただ分かっているのは、使い魔がいなくなったということ。しかし共通点があるらしい」

「共通点?」


 聞き返した言葉に、カカオはこっくりと頷いた。


「突如魔法陣が現れ、使い魔はその中に消えたらしい」


 何かが、ある。絶対に。


「確かに圧倒的に情報が足りない。それを目撃した当事者達にも話を聞きたい。もし、これが本当ならこれ以上被害を拡大したくない」

 カカオを真正面から見据えると、彼も同じことを考えている様だった。


「まおの仕事の管轄外だと分かっている。しかし、大事にはしたくない。現在懸命にオスガリアの復旧を手伝ってくれている我が国の軍隊に知らせるのも憚られる。少人数で調査してもらいたい」

「了解」


 内密の調査ってことね。


「何があるかわからない。──気をつけろ」


 最後の部分だけ、雰囲気が主と臣下のそれと違った。

 どこか柔らかさを含む、優しい声音。


「──うん」


 小さく頷く。

 少しだけ、彼があたし自身を見てくれた。

『魔女』としてではなく、あたし自身を。

それに応えたくて、あたしもようやく笑顔を浮かべる。


「この国を守ることがあたしの役目。そうでしょう?」

「……ああ」


カカオもようやく破顔して、こちらを見た。


「休憩中にごめんね」

「いや、いい。構わない」


ソファを立ち上がると、カカオも共に立ち上がって廊下まで見送ってくれる。


「じゃあ、行ってくるね」


彼の顔を見上げると、少しだけ、悲しそうな表情を見せる。


「カカオ……?」

「……もし、何かあれば……必ず教えてくれ」

「もちろん。些細なことでも何かわかったら報告するつもりだよ」

「それはもちろんそうだが、まお自身のことだ」

「あたし……?」


不思議に思って彼の顔を見上げたとき、カカオの大きな手があたしの手をそっと包み込んだ。

温かい。


「何も言わずにどこかにいったりするな。怪我をしたら──真っ先に俺の元へ来い。もう、あんな思いはしたくない」


 〈あんな思い〉

 その言葉に胸が締め付けられるように苦しくなった。

紺碧の硝子の奥に隠れた不器用ながらも暖かい優しさ。

真正面から見つめられて、心の奥底から、熱いものが込み上げる。

 揺らぐ思いに応えようとまるで何かに導かれるかのように彼の白磁の様に美しい顔に手を伸ばす。

一瞬、時が止まる。その時。


『──あいもかわらず』

「っ!」


 雰囲気をぶち壊す一声。


『一国の王をこんな風に陶酔させてるなんて、さながら傾国のお姫様』


脳裏に、男とも女ともつかない声が響く。

あたしを挑発するかのように嘲笑する。


〈アカシ、静かに〉


心の中に語りかけ、応戦した。


『いや何、あまりに王を困らせる我が主人はどのようなものかと』

〈……確かに、あたしはオスガリアとの戦いを収めるために、勝手に行動したわ〉


そう、貴方を使って。


〈千年霊木〉という、この国の中央に鎮座し大陸中に根を張っている大木は、この国が出来上がる前から存在しており、この国の魔力と全て繋がっているため全てを知っている。

その〈千年霊木〉の一欠片の枝から作られたのが、この〈魔女の証〉通称アカシだ。

 アカシは〈千年霊木〉の魔力と繋がることが出来る。

 オスガリアとの〈千年霊木〉の魔力を操ることで、あたしは国を守る防御結界を作り上げた。

 そして、身体にかかる負荷で、意識を失った。

 あたしの身勝手な行動でカカオに心配をかけてしまったのだ。

 カカオは、あたしが再び倒れることを恐れている。

この国の守護者であり、最終兵器、最後の要である魔女が倒れれば、国が守れないということを……。

あのときのあたしはそう思い、叱られることを覚悟していた。

しかし、彼はあくまで彼個人の意思で、あたし自身を心配してくれていた。


〈……この国を守りたい。その気持ちは変わらない。貴方の力を借りる出番があるそのときまで、アカシ、貴方は暫しの眠りにつくといいわ〉

『──我が主の御心のままに』


身体内の魔力が消えた。

アカシが眠りについたのだ。

あたしが語りかけるまで、彼はこちら側には出てこないだろう。


「……落ち着いたか?」


カカオには、あたしたちのやり取りは聞こえていなかったはずだが、彼も相当な魔術師だ。

魔力の僅かな揺らぎに気づいたのだろう。

 含みを持たせた言葉に、あたしはゆっくりとうなずいた。


「とにかく、怪我をしないことが第一だ。クコを連れて行くとは思うが……怪我をもし、したとしても俺のところへ来い」


 再度確認するように言い含めるカカオにはそう言わせる理由があって。

 彼は、王家に代々伝わる特別な力を保有していた。

 それも、〈再生〉

 その力を使うと、傷を負ったとしてもたちまち傷を負う直前の状態に。

 硝子が割れてしまったならそれを元どおりに──。

 その名の通り再生するのだ。

 しかしその力を使うには口付けをする必要がある。

 クコたち妖精族が扱う回復魔法とは全く違った力を、王家の秘密として、口外してはならず、今の今まで秘匿とされていた。

 しかし、あたしが膨大な魔力を消耗し、気を失ったとき、彼はその力をあたしに使ってくれた。

 失った魔力を〈再生〉するなんて力のことが露呈してしまえば、この魔力社会ではどんな惨事が起こるか、火を見るより明らかだろう。

 そんな危険な王族以外に教えなかった秘匿を教えてくれた彼は、あたしを信頼してくれているという何よりの証だった。

 そんな彼が期待してくれている。
 
 心配をかけている。

 裏切ることなど、できるわけがない。


「──わかった」

 
 安心させるように、彼の青い瞳を真っ直ぐ見返し、強く頷く。

 その様子に、カカオはようやく満足したようで、あたしを部屋から見送ってくれた。

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