緑の指を持つ君と
蛍 高瀬さんサイド
太陽が沈んで空の色を茜色に染める。今日の雲は折り重なるように何層にもあって下からの残照を受けて輝いていた。
書類もレポートも山積みだけど、手を休めて窓から夕暮れを見るのが好きで、マグカップ片手に一息ついていた。
窓から外を眺めていると、長身の白衣が裾をはためかせて建物を横切っていった。
あ、瀬波さんだ。
少し長くなってしまった髪が大股で歩くにつれ、揺れている。
そこそこ美形でありながら、研究室にこもっているため、近づきたくても近づけない隠れファンは多いらしい。
何処にいくんだろう。考える時の癖で頬に触れて、やっぱり考えるより行ってみようとポケットにお財布を入れて席を立った。
建物を出て瀬波さんの歩いて行った方向に足を向ける。
外に出ると夕闇が落ちてきて、空は深い藍色へと色を変えていた。
熱の残る建物より、風のある外のほうが涼しくて深く息を吸い込んだ。
建物の影には農学部の果樹や畑があって、緑の匂いを滴らせていた。吸い込むと自分にも緑の風が肺に入り込み、体を緑に染めていくようだった。
見当をつけて涼しげな用水路に沿って歩いていく。農学部の農業用水を賄うために、地下水脈から汲み上げた水は、潔いほどに冷えていて勢いよく流れていく。
学部の書かれた籠に名前を書いたビールやきゅうりが浮かんで、川で冷やされている。
もう少ししたら、トマトや西瓜も仲間入りするだろう。
ちゃぷちゃぷと水を受けるさまは、どこかのどかで見ていると楽しい。
瀬波さんも、どこかの籠に自分だけのお気に入りを眠らせているのかもしれない。
水面を見ながら、川を遡ってきたけれど、こんな所をうろうろしているなんて、なんだか籠の中身を物色しているようで、誰かに見られて問い詰められたらどうしようかと不安になる。
何も持ってはいなくても、物色していただけという事もある。
瀬波さん探しは止めて、帰ったほうがいいのかもしれない。
段々と木々は密になり、明かりのない暗闇が深くなるにつれ不安がつのる。
不意に草を分ける音がする。
「きゃああぁ」
不安になって、怯えていた私は思わず声をあげてしまった。
ドキドキしながら振り向くと、びっくりして目を見開いた瀬波さんだった。
「高瀬さんか…驚いた」
「ご…ごめんなさい。野犬かなにかだと思って」
瀬波さんは、ふわっとした笑いを浮かべる。
「野犬というよりタヌキかと思った。いるんだよ、ここ」
私、タヌキと間違われたのね。
「タヌキは夜行性だし、雑食だからね。美人なタヌキだったよ」
そう言って、はにかむように笑った。
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