緑の指を持つ君と
アリ
夏休みの学校の片隅に、うずくまる人がいる。
気分が悪いのか、頭を下に向け一点をじっと見つめている。
具合が悪くて動けないのか、身じろぎさえしない。知らない人からしたら、アブナイ人でしかないだろう。
でも私は彼が誰だか知っていたし、何を見ているのか興味があった。そばに寄って左側から声をかけた。
「瀬波さん何してるんですか」
「ああ。高瀬さん
ちょっとまぶしそうに、こっちを見る、笑顔がやわらかい。春の日差しのような雰囲気を持っている人だ。
体をこちらに向けてくれたので、長身を折り曲げて見ていたのはアリだとわかった。
「働きアリの法則って知ってる」
「聞いたことある。働きアリの何割かは、働かないでいるってものでしょう」
「そう。割合は2:6:2で、働くアリ、休んでいるアリ、働かないアリになるそうだよ。
働かないからと二割のアリを省いたとしても、残ったものの中から、また二割の働かないアリが出る。
反対によく働くアリを除いても、残ったアリのなかから二割はよく働くアリになるんだよ。
高瀬さんは、どう思う」
じいっとこっちを見る目が、色素の薄いきれいな光彩をしていた。
見つめ合うのも、なんだか照れてしまうので働くアリを見てしまう。
「やっぱり働くアリがいないとご飯食べられないでしょう」
「そうだね。じゃあなんで、働いているアリを省いても、働かないアリを省いても割合は同じなんだろう」
「自然とそうなる…とか」
ははっと軽い笑い声がして瀬波さんを見ると、全開の笑顔でドキリとした。はにかむ笑顔も好きだけれど、くったくのない笑顔はやっぱり嬉しい。
「そう。まったくそうなんだよね。僕らは対象を観察して自然のルールを教えてもらっているだけかもしれない。
アリに限らず、群れで生活するハチなんかも同じじゃないかな。
働くアリばっかり集めたら、効率がいいかと思うけど、結果は同じ。二割は働かなくなるんだ。
それはただ遊んでいるんじゃなくて、何かあったら巣を守ったり戦ったりするための人員なんだよ。みんな一斉に働いていたら戦う者がいないものね」
「人間もそうならいいのに。みんな働きすぎだよね」
「働かないアリも必要なんだよ。みんながみんな働いていたら、疲れてしまうよね。いざ他のアリに襲われたとして元気なアリがいないと巣を守れない
余力がなくちゃダメなんだ。
俺なんかね、日がな一日こうしてアリなんか見てたりしたけど…ファーブル先生みたいに観察し続けるのはスゴイなって思うよ。
昆虫のスパンって短いよね。だから次の代にはよりよい情報を残そうとして多くの種が存在してるんだろうね」
「あ、そうそう。どーして瀬波さんずっとここにいたの」
にっこりと聞いてみる。風が瀬波さんの髪をなでる。さらさらとした長めの髪。なんだか犬みたい。
瀬波さんの長い指が顎にあてられ、考えこむ。一瞬の後に、目が大きく見開らかれ、不自然に視線がそらされた。
「ごめん」
「約束は10時ですよ」
もう2時間待ってますよ。言わない台詞は圧力となって瀬波さんの肩にかかる。
「ごめんね。お昼おごるから許してね」
ちらりと上目遣いで私を見る。ああもうっ
「連絡がつかなくて、私が心配していたのがわかりませんか。携帯、持っていてもマナーだったら意味ないです」
「それはムダに教授からの電話が入るからだよ」
「出ないから何度も連絡してるんでしょ」
約束時間前のドキドキも、時間に遅れている心配も、ちっとも分からないような笑顔で。
それでも私はこの人のことが好きらしい。何か興味があることを見つけたら、私との約束も忘れてしまうのに。
「あのね、高瀬さんとの約束は忘れた訳じゃないんですよ。早く来過ぎてしまったから時間を潰していただけですからね」
「…心配しますから、連絡はきちんと取れるようにしてくださいね」
飼い犬(彼氏)の躾はきちんとしなくちゃ。どうやら躾のしがいがありそうなヒトだから。