精一杯の背伸びを
「もう五時ね。夕飯の準備しないと」
お母さんは何事もなかったように立ち上がった。
そして思い出しように手を大きく叩いた。
いかにもわざとらしく。
「ああ。そうだ。言い忘れてたけど明日の夜、仁くんが婚約者連れてうちに来ることになってるから。もう、どんな子かしらね?小春も俊君も愛想良くね。緊張するわ!結婚の挨拶だなんて!」
お母さんはまだ何か話しているようだけど、私の耳には届かなかった。
仁くんが佳苗さんと一緒にここに来る?
結婚の挨拶?
頭が真っ白になる。
血が逆流したような感覚。
身体の震えが止まらない。
私は震える手で唇を押さえた。
全身から汗が噴出す。
お父さんが私の滞在期間を聞いて困惑した理由。
伝えるべきか迷っていた事柄。
それは、このことだったのだ。
お母さんが伏せようとしていたんだ。
今頃になって、そしらぬ顔で言う。
怒りがこみ上げた。
だけど、一刻も早く、ここを出なければ。
そう思ったら身体が勝手に動いた。
階段を転びそうになりながらも必死に駆け上がり、部屋に戻り荷物を詰め込む。
手が震えて、思うように荷物が入らない。
急がなければ。
早くしなければ。
今はまだ仁くんに会えない。
憎しみをぶつけてしまう。
会えば、私も仁くんも傷つく。
でも、少しでも近くにいたら私は会いたくなる。
傷つくのも構わず。
だから、東京に戻らなければ。
この土地にいたら、私は彼の顔を見たくなる。
突然、手首を掴まれた。