愛の答
全能少女
珈琲が注がれたカップを机の上に乗せた。
二つのカップに満たされた珈琲は、乳白色に近い色をしていた。
俺も深雪も大の甘党だった。
憔悴した深雪が小さく、ありがとうと呟いた。
カップに口を付け、珈琲を静かに舐める。
まだ苦いな、と思った。
俺と深雪は部屋で沙梨の事について話していた。
『つまり、モルキオ病っていうのは体が未発達のまま成長してしまい、成人を達しても個人差はあるが、体だけが成長しない病。
更に長くは生きられない。沙梨がモルキオ病と想定して』
そこまで言うと、深雪は辛そうに顔を膝に落とした。
『・・・平気か?』
俺の問いに深雪は涙を拭い取りながら一度だけ弱々しく頷いた。
『まだ、断定したわけじゃない。むしろ違う確率の方が高い。
一度医者に見せただろ?その時何も言われなかったんだ。
先進国の医学だぜ?見落とすなんて有り得ないだろ』
確信のない言葉を深雪にかけた。
俺だって・・・そんな事分からない。
ただ、今は俺がしっかりしないと深雪が崩れてしまいそうだから・・・。
『・・・深雪』
『・・・何?』
弱々しい声が俺の胸をノックした。
だから応えた。
『お前、沙梨の母ちゃんだろ?』
『!・・・』
深雪が顔を上げた。それはそれは、【むかつく】くらい綺麗な泣き顔だった。
『沙梨は俺と深雪しか頼れる人がいないんだよ。当然だろ?』
深雪は軽くむせた後、しっかりと頷いた。
『だから、踏ん張ろう』
グ!と深雪が俺の手首を力強く握り締めてきた。
『何、私に説教?・・・むかつくんだけど』
深雪は目を真っ赤にさせて俺を睨んだ。
その時だった。
『じぃぃ!』
ズシン!と強烈な衝撃が俺を襲った。
成人している俺にこれ程のダメージを与えるとは。
『じぃ!何でママを泣かせてるんだよ!』と、沙梨が俺に体当たりを仕掛けてきたのだ。
『お前、ドアの隙間から見てたな!?』
俺は沙梨の足を手に取り、足の裏をくすぐった。
沙梨は体をよじらせながら笑い転げていた。
その笑顔に深雪はつられて笑った。俺も笑った。
幸せだ。
今この瞬間だけの幸せは、紛れもなく真実だった。
沙梨の笑みを・・・どうか永遠に見ていたいとさえ思った。

『なるほど。つまり、貴方達の実のお子さんではなく、養子でもない。
それでも尚、実の両親のように育てていると』
『いや、実の両親とかそんな大袈裟なわけじゃ』
『素晴らしいです!』
ビク!と一瞬身体を硬直させた。
『ど、どうも』
俺と深雪は立浪さんの声に二人して驚いた。
俺と深雪で考えに考え、医学に詳しい立浪さんにアドバイスを貰おうと決めたのだ。
ここは市立図書館。
以前、立浪さんと出会った場所でもある。
どうやら立浪さんの声に驚いたのは、俺と深雪だけではなかった。
静寂が蘇った館内。幾つもの冷たい視線を浴びた。
『す、すみません。少し興奮して声が上ずりました』
声のトーンを急降下させて立浪さんは謝罪した。
『い、いえ。それで、医学に詳しい立浪さんに少しアドバイスなんか貰えたらなと思って連絡したんですけど』
立浪さんのアドバイスはすぐに返ってきた。
『都内の大学病院を紹介してあげる。この病院なら精密検査まで可能だから』そう言いながら一枚の名刺を俺に差し出してきた。
受け取りながら立浪さんの言葉を聞いた。
『これが私からのアドバイスかな。医学に詳しい私っていうイメージがあるらしいけど、私の知識は所詮ボランティア医学だから。
大病の疑いとなると、正式な病院の検査を受けた方がいいと思うな』
これが立浪さんのアドバイスだった。
『そうっすよね。やっぱ病気なのかどうかを白黒させることが優先ですよね』
立浪さんは俺と深雪の顔を一度ずつ見て、
『元気出して?私との出会いも運命よ。
運命に身を任せてみるのも立派な決断の一つよ』
立浪さんは年齢相応の大人びた口調でそう俺達に告げた。
立浪さんに礼を言い、図書館を出た。
帰りの車の中で深雪が言う。
『沙梨ちゃんはもしかしたら今でも私達から捨てられるのを恐れてるのかな』『恐らくな。こればっかりは人を頼るしかないからな。
あいつなりに苦しんでるんだろう。
まぁ、まだ何かの病気と決まったわけじゃないしな。
てか、俺的にはそっちの方が可能性高いような気がするんだよ』
『どうして?』
『あんな無垢な笑顔で笑ってるんだ。
心身が辛かったら、あんな風に笑えないよ』
『・・・うん、そうだね』
白黒はっきりさせる。
沙梨は平凡な三歳児。
常識外れで身勝手な両親に一方的に捨てられた幼子。
『・・・』
ハンドルを握りながら脳裏を巡る思いがあった。
俺は・・・俺は果たして・・・
実の両親が現れた時、理性を保っていられるだろうか?
そして・・・沙梨との別れを素直に受け入れられるだろうか?
知らぬ間に、心が・・・成長していた。
< 17 / 56 >

この作品をシェア

pagetop