愛の答
二人の空間
風船が空高く飛んでいった先、そこには涙を流す必要のない世界があって、
この子を優しく包んでくれるだろう。
涙が流れる世界は、必要ない。
-拓也の話(現在)-
八月。
蝉の音色に悩まされながら昼を過ごす。
昨日の復讐か?ちゃんと逃がしただろう・・・。
『じぃ!ミーンミン!ミーンミン!』
蝉の真似が上手だと褒めて貰いたいのだろうか?
『ミーンミン!』
ミーンミン・・・ミーンミン・・・
上手だ。
沙梨は蝉の鳴き声を真似する事が長けていると思った。
振り返り、沙梨が手に掴まえている本物の蝉を見るまではそう思った。
パシッと、沙梨の手を軽く叩き、手中に監禁された蝉を逃がした。
『あぁ!ミーンミンがぁ!』
『沙梨、ミーンミンはな、短い生命とも知らずに必死に生きているんだ』
『・・・?』
『沙梨は掴まっちゃったら嫌だろ?』
『掴まる?』
『こうやって・・・』
そう言いながら沙梨の体を抱き締めた。
『嫌じゃないよ?じぃに抱っこしてもらうの好きだよ!』
『・・・これでもか?』
沙梨の脇腹を擽りだした。
すると、体を捩じらせながら沙梨は笑い、俺から脱出を試みる。
『さっき沙梨は、ミーンミンにこうやってたんだぞ!?』
『うぁぁん!じぃ、やめて!擽っちゃ駄目ぇ!』
『ごめんなさいは?』
沙梨はごめんなさい、ごめんなさいと、ミーンミンに何度も謝っていた。
それが昨日の事だ。
しっかりと我が子は謝ったというのに、復讐とは・・・。
エアーガンで打ち抜いてやろうかと思った。
だらけた体を引き摺りながら下の階に行くと、【だらしない親子】が、
和室にいた。
【深】い【雪】も、この暑さにやられている。
深雪の足下に小さな大の字。
沙梨という、涼しげな名前とは掛け離れた表情をしている沙梨。
『・・・くく、ははは!』
ふいに笑ってしまった。
深雪は一瞬不機嫌そうな表情を見せたがすぐに俺の笑いの渦に飲み込まれた。沙梨はキョトンとしている。
俺と深雪は、昨日の夜から一切言葉を交わしていなかった。
要は、喧嘩したのだ。
それはもう、結婚してから初めてだろうというくらいの大喧嘩。
そんな大喧嘩も、この暑さには勝てず、笑いに変換。
単に二人とも暑さで少しおかしくなったのかもしれない。
『沙梨ちゃんが行きたくないって言う所に、どうして行くの!?』
昨日の深雪の言葉。
俺と深雪は怒鳴り合った。
『馬鹿かお前!?沙梨は俺達の子供じゃねぇんだ!
それが現実だ!何と言おうと、俺は連れてく!』
完全に深雪は沙梨に対して情を移していた。
正直・・・俺もだ。俺だって辛い。
しかし、全ての事に対し白黒を付けなければいけない。
沙梨に対して【病院】という言葉を使ったのが間違いだった。
沙梨は異常に怯え出し、拒んだ。
その姿を見た深雪も、立浪さんが紹介してくれた大学病院への診察を拒んだ。けど、何と言おうと連れてかなければいけない。
立浪さんから紹介された、都内の病院へ。
少しずつ、少しずつだけど確かに・・・別れの時は近付いていた。
沙梨と過ごす八月はもう二度とこない・・・
風船は何れ割れてしまうものだ。
『俺なりに今の状況をまとめてみたんだけど』
俺は深雪と島津さんに言った。
深雪と島津さんが頷く。
『まず、何よりも気掛かりなのは沙梨に接触した男。
あの男は沙梨の実の父親の可能性が高い。
一度、俺に追い掛けられているから、沙梨に近付く事を警戒していると思う。次に、手紙にも書いてあった沙梨の病。
俺が勝手に医学書の知識から弾き出したモルキオ病。
恐らくこれは違う』
『・・・どうして?』
深雪が俺に聞いた。
俺はしばらく沈黙を続けた後、
『分からない。完全に独自の判断だけど、違うような気がするんだ。
それもこれも、最終的には都内の病院へ行けば分かる事だから』
俺の言葉に深雪が辛そうな表情を見せた。
事実、沙梨は病院を拒んでいる。
俺も悩みに悩んだ。
『二人とも』
島津さんの声に二人が反応し、顔を上げた。
『私は、あなた達を尊敬するわ』
『・・・え?』
いきなりのお褒めの言葉に戸惑った。
『真剣そのものね』
『え?・・・まぁ、遊んでるつもりはないです』
『二人の向かい風になるか、追い風になるかは分からないけど、
警察側として伝えるわ。警察側としてはこれ以上あなた達に負担を掛けさせるわけにはいかないの』
言っている意味が分からなかった。
『どういう事ですか?』
『・・・い、嫌!』
深雪が声を張り上げた。
その瞬間俺も深雪が予想した事が分かり、
『冗談じゃないっすよ島津さん!ここまで深入りしてるんです!
このまま沙梨を施設に入れる事は俺が許さないです!』
深雪も口を押さえながら、今にも泣き出しそうな表情で頷いた。
島津さんはしばらく俺の目を見た後、
『あなたは我々警察から名誉を受ける権利がある。
これまであなた達夫妻に沙梨ちゃんはどれだけ助けられたか。
同時に我が警察も。是非これを』
スッと、島津さんが一枚のパンフレットを差し出してきた。
『・・・何すか?これ』
深雪は施設のパンフレットと思い込み、見ようともしなかった。
『・・・これは、温泉?』
俺の言葉に深雪は顔を上げた。
島津さんから差し出されたパンフレットは、とある温泉旅館のパンフレットだった。
『少し、二人で寛いでくるといいわ。これは私個人のプレゼント』
『・・・え?いや・・・え?』
状況が把握出来ないでいた。
『突然三歳児の親になるなんて驚いたでしょう?
事実、ここまで沙梨ちゃんを幸せに育ててきた。
疲れなんてないって言われそうだけど、私個人のプレゼントだから受け取ってもらえる?まぁ、二人とも仕事で忙しいかもしれないけど』
突然のプレゼントに二人は戸惑った。
『拓也君の両親にはもう伝えてあるの。
だから、沙梨ちゃんは拓也君の両親と、私達警察で面倒見るから。
二人で寛いできなさいよ?』
『は、はぁ・・・』
俺と深雪は目を合わせながら再び戸惑った。
こんな感じで、新婚生活初の旅行話が浮上してきたのであった。
『温泉旅館、舞豆舎(まいずしゃ)か・・・』
俺はその日の夜、部屋で温泉旅館のパンフレットを眺めていた。
『へぇ。露天風呂にサウナ。夕食はバイキングだってよ。
好きなもん好きなだけ食えるのは嬉しいな・・・
なぁ?深雪。聞いてんのかよ?』
『寝巻に、下着でしょ?それにタオルとかも持っていった方が間違いないね』『・・・』
深雪の頭はすでに旅館の中に居た。
タオルなんて幾らでも常備されているだろうに・・・。
大きなバックに次々と身仕度を済ませている深雪に対し、
『おい・・・確かに宿泊料金云々の話も任せてあるし、優先的に予約が取れる状態だけど・・・まだ日にちも決めてないんだぞ?』
『身仕度しとく分には問題ないでしょ?あ、携帯の充電機忘れないでね?』
『今充電機入れちゃったら今日使えないだろ』
『あ!・・・そっか』
深雪の頭の中はすでに混乱していた。
『とにかく落ち着けよ!』
俺の助言に、
『嫌よ!』と、打言する深雪。
『い、嫌よって・・・』
『結婚してから初めての旅行だよ!?有頂天になってどこが悪いの!?』
『いや、だからって』
『財布忘れないでね!?』
『いや、だから・・・。うん、分かったよ』
もう、何を言っても深雪を止められる自信は俺にはなかった。
ここで旅行を俺が勝手にキャンセルしたら?
間違いなく小指から順に落とされるだろう。
【それ】を恐れて、俺は翌日、仕事を終えてから旅行代理店に向かい、
手続きを済ませた。
日にち等を決めてきた俺に、深雪は最高の笑みを投げ掛けてくれた。
俺も、大事な指を落とされずに済んだと、心から安堵の笑みを浮かべた。
冗談はさておき、俺と深雪のこの新婚旅行(?)が、沙梨に大きく関連してくるなんて・・・この時は思ってもみなかった。
沙梨との別れが近付いた、蝉時雨を背にした季節の事だった。
この子を優しく包んでくれるだろう。
涙が流れる世界は、必要ない。
-拓也の話(現在)-
八月。
蝉の音色に悩まされながら昼を過ごす。
昨日の復讐か?ちゃんと逃がしただろう・・・。
『じぃ!ミーンミン!ミーンミン!』
蝉の真似が上手だと褒めて貰いたいのだろうか?
『ミーンミン!』
ミーンミン・・・ミーンミン・・・
上手だ。
沙梨は蝉の鳴き声を真似する事が長けていると思った。
振り返り、沙梨が手に掴まえている本物の蝉を見るまではそう思った。
パシッと、沙梨の手を軽く叩き、手中に監禁された蝉を逃がした。
『あぁ!ミーンミンがぁ!』
『沙梨、ミーンミンはな、短い生命とも知らずに必死に生きているんだ』
『・・・?』
『沙梨は掴まっちゃったら嫌だろ?』
『掴まる?』
『こうやって・・・』
そう言いながら沙梨の体を抱き締めた。
『嫌じゃないよ?じぃに抱っこしてもらうの好きだよ!』
『・・・これでもか?』
沙梨の脇腹を擽りだした。
すると、体を捩じらせながら沙梨は笑い、俺から脱出を試みる。
『さっき沙梨は、ミーンミンにこうやってたんだぞ!?』
『うぁぁん!じぃ、やめて!擽っちゃ駄目ぇ!』
『ごめんなさいは?』
沙梨はごめんなさい、ごめんなさいと、ミーンミンに何度も謝っていた。
それが昨日の事だ。
しっかりと我が子は謝ったというのに、復讐とは・・・。
エアーガンで打ち抜いてやろうかと思った。
だらけた体を引き摺りながら下の階に行くと、【だらしない親子】が、
和室にいた。
【深】い【雪】も、この暑さにやられている。
深雪の足下に小さな大の字。
沙梨という、涼しげな名前とは掛け離れた表情をしている沙梨。
『・・・くく、ははは!』
ふいに笑ってしまった。
深雪は一瞬不機嫌そうな表情を見せたがすぐに俺の笑いの渦に飲み込まれた。沙梨はキョトンとしている。
俺と深雪は、昨日の夜から一切言葉を交わしていなかった。
要は、喧嘩したのだ。
それはもう、結婚してから初めてだろうというくらいの大喧嘩。
そんな大喧嘩も、この暑さには勝てず、笑いに変換。
単に二人とも暑さで少しおかしくなったのかもしれない。
『沙梨ちゃんが行きたくないって言う所に、どうして行くの!?』
昨日の深雪の言葉。
俺と深雪は怒鳴り合った。
『馬鹿かお前!?沙梨は俺達の子供じゃねぇんだ!
それが現実だ!何と言おうと、俺は連れてく!』
完全に深雪は沙梨に対して情を移していた。
正直・・・俺もだ。俺だって辛い。
しかし、全ての事に対し白黒を付けなければいけない。
沙梨に対して【病院】という言葉を使ったのが間違いだった。
沙梨は異常に怯え出し、拒んだ。
その姿を見た深雪も、立浪さんが紹介してくれた大学病院への診察を拒んだ。けど、何と言おうと連れてかなければいけない。
立浪さんから紹介された、都内の病院へ。
少しずつ、少しずつだけど確かに・・・別れの時は近付いていた。
沙梨と過ごす八月はもう二度とこない・・・
風船は何れ割れてしまうものだ。
『俺なりに今の状況をまとめてみたんだけど』
俺は深雪と島津さんに言った。
深雪と島津さんが頷く。
『まず、何よりも気掛かりなのは沙梨に接触した男。
あの男は沙梨の実の父親の可能性が高い。
一度、俺に追い掛けられているから、沙梨に近付く事を警戒していると思う。次に、手紙にも書いてあった沙梨の病。
俺が勝手に医学書の知識から弾き出したモルキオ病。
恐らくこれは違う』
『・・・どうして?』
深雪が俺に聞いた。
俺はしばらく沈黙を続けた後、
『分からない。完全に独自の判断だけど、違うような気がするんだ。
それもこれも、最終的には都内の病院へ行けば分かる事だから』
俺の言葉に深雪が辛そうな表情を見せた。
事実、沙梨は病院を拒んでいる。
俺も悩みに悩んだ。
『二人とも』
島津さんの声に二人が反応し、顔を上げた。
『私は、あなた達を尊敬するわ』
『・・・え?』
いきなりのお褒めの言葉に戸惑った。
『真剣そのものね』
『え?・・・まぁ、遊んでるつもりはないです』
『二人の向かい風になるか、追い風になるかは分からないけど、
警察側として伝えるわ。警察側としてはこれ以上あなた達に負担を掛けさせるわけにはいかないの』
言っている意味が分からなかった。
『どういう事ですか?』
『・・・い、嫌!』
深雪が声を張り上げた。
その瞬間俺も深雪が予想した事が分かり、
『冗談じゃないっすよ島津さん!ここまで深入りしてるんです!
このまま沙梨を施設に入れる事は俺が許さないです!』
深雪も口を押さえながら、今にも泣き出しそうな表情で頷いた。
島津さんはしばらく俺の目を見た後、
『あなたは我々警察から名誉を受ける権利がある。
これまであなた達夫妻に沙梨ちゃんはどれだけ助けられたか。
同時に我が警察も。是非これを』
スッと、島津さんが一枚のパンフレットを差し出してきた。
『・・・何すか?これ』
深雪は施設のパンフレットと思い込み、見ようともしなかった。
『・・・これは、温泉?』
俺の言葉に深雪は顔を上げた。
島津さんから差し出されたパンフレットは、とある温泉旅館のパンフレットだった。
『少し、二人で寛いでくるといいわ。これは私個人のプレゼント』
『・・・え?いや・・・え?』
状況が把握出来ないでいた。
『突然三歳児の親になるなんて驚いたでしょう?
事実、ここまで沙梨ちゃんを幸せに育ててきた。
疲れなんてないって言われそうだけど、私個人のプレゼントだから受け取ってもらえる?まぁ、二人とも仕事で忙しいかもしれないけど』
突然のプレゼントに二人は戸惑った。
『拓也君の両親にはもう伝えてあるの。
だから、沙梨ちゃんは拓也君の両親と、私達警察で面倒見るから。
二人で寛いできなさいよ?』
『は、はぁ・・・』
俺と深雪は目を合わせながら再び戸惑った。
こんな感じで、新婚生活初の旅行話が浮上してきたのであった。
『温泉旅館、舞豆舎(まいずしゃ)か・・・』
俺はその日の夜、部屋で温泉旅館のパンフレットを眺めていた。
『へぇ。露天風呂にサウナ。夕食はバイキングだってよ。
好きなもん好きなだけ食えるのは嬉しいな・・・
なぁ?深雪。聞いてんのかよ?』
『寝巻に、下着でしょ?それにタオルとかも持っていった方が間違いないね』『・・・』
深雪の頭はすでに旅館の中に居た。
タオルなんて幾らでも常備されているだろうに・・・。
大きなバックに次々と身仕度を済ませている深雪に対し、
『おい・・・確かに宿泊料金云々の話も任せてあるし、優先的に予約が取れる状態だけど・・・まだ日にちも決めてないんだぞ?』
『身仕度しとく分には問題ないでしょ?あ、携帯の充電機忘れないでね?』
『今充電機入れちゃったら今日使えないだろ』
『あ!・・・そっか』
深雪の頭の中はすでに混乱していた。
『とにかく落ち着けよ!』
俺の助言に、
『嫌よ!』と、打言する深雪。
『い、嫌よって・・・』
『結婚してから初めての旅行だよ!?有頂天になってどこが悪いの!?』
『いや、だからって』
『財布忘れないでね!?』
『いや、だから・・・。うん、分かったよ』
もう、何を言っても深雪を止められる自信は俺にはなかった。
ここで旅行を俺が勝手にキャンセルしたら?
間違いなく小指から順に落とされるだろう。
【それ】を恐れて、俺は翌日、仕事を終えてから旅行代理店に向かい、
手続きを済ませた。
日にち等を決めてきた俺に、深雪は最高の笑みを投げ掛けてくれた。
俺も、大事な指を落とされずに済んだと、心から安堵の笑みを浮かべた。
冗談はさておき、俺と深雪のこの新婚旅行(?)が、沙梨に大きく関連してくるなんて・・・この時は思ってもみなかった。
沙梨との別れが近付いた、蝉時雨を背にした季節の事だった。