愛の答
無糖珈琲
容赦のない雨が今も降り続いている。
弄ぶように、その雨粒は沙梨を集中的に叩く。
俺は沙梨の傘になりたい。
雨粒どころか、砲弾さえも守りぬくような、強い傘。
今の俺はせいぜい六月に降る、雨蛙が喜びそうな雨を防げる程度だ。
己を呪った。
沙梨は今でも俺と深雪の手を探し続けている・・・。
快晴。
沙梨を叩く雨とは対照的に、その日の天候は見事な快晴だった。
残暑とは思えない程の暑さが四人を襲った。
俺、深雪、沙梨、島津さんの四人は、現在首都高速上を走っている。
島津さんの自家用車で。
『本当にごめんなさい!もう夏も終わりだからって、エアコンの修理しないままで居たんですけど、まさかこんな暑くなるなんて・・・
何より、人を乗せる事なんてないから、エアコンくらい壊れててもいいかなって』
これが島津さんの言い訳。
『いえいえ。とんでもない!むしろ、病院までの道を世話してもらっちゃってすみません!』と、深雪が言った。
俺と沙梨は砂漠に取り残されたような顔で、後部座席に二人でだらけていた。『じぃ・・・暑いよ』
『馬鹿。今の会話聞いてなかったのか?』
『だって・・・暑いんだもん』
『・・・あぁ、確かに。暑いな』
『暑いよ』
俺と沙梨の会話を聞いた前の二人がケラケラと笑い出した。
『?』
沙梨はなぜ笑っているのか分かっていない様子で二人を見ていたが、
やがて沙梨も笑い出した。
都内に入る頃には、太陽は一番頂点に位置し、更に俺達から水分を奪った。
しかし沙梨だけは、
『じぃ!見て見て!大きなTVがあるよ!お家の奴よりずっと大きい!』と、初めてであろう東京の世界に興奮していた。
すっかり、病院の事も忘れているように見えた。
まぁ、正直俺も少し興奮というか、落ち着かなかった。
どこからこんなに人が溢れ返ったのか?
休日とはいえ、物凄い人の数。
四方八方分からぬまま、島津さんの運転に任せた。
やがて・・・
『ちょっと、目的地行く前に食事でもいかが?』と、島津さんが車を停めた。『時間あるんすか?』
『予約が三時だからね。ここから少し行ったところだし、
一時間くらいは余裕あるから』
俺と深雪と沙梨が東京の地に足をつけた。
島津さんは三人に気を遣ってくれたみたいで、
【親子】の食事を邪魔しないよう一人で食事に行った。
ショーウインドに三人の姿が映った。
本当の・・・親子のようだった。

【あなたにとって愛とは何ですか?】
【現在ノ医学デワ回復ハ無】
【時間ガ無イ。記憶ノ細胞ハ今モ破壊サレテイル】
レストランのトイレで三枚の手紙と睨み合い。
島津さんに返してもらった物的証拠とも言えるこの、三枚の手紙。
筆跡は全て同じ。男の筆跡ということも分かっている。
恐らくは沙梨の実の父親の字・・・。
沙梨を俺と深雪に預け、遠くから見守っているわけだ。
そう、本人は見守っているつもりだろう。
俺からすればエゴの沙汰だと思う。
下手すれば、このレストランのどこかに居るかもしれない。
家を出てから一応警戒はしていた。
怪しい影は見当たらなかったが、単に俺が鈍感なだけかもしれない。
どんな事が起きようと沙梨は俺が・・・
ブゥゥ!ブゥゥ!、携帯に振動。
深雪からだ。
同じレストランに居るのだから電話なんて・・・
『もしもし?』
『じぃぃ!?』
『沙梨か。どうした?』
『じぃ、うんち?』
『・・・』
『うんち!?うんっ!』
電話の後ろで、深雪が沙梨の口を閉ざそうとしているのが分かった。
『沙梨、お前レディーだろ?レディーはそんな事言っちゃいけないんだぞ?』って、俺は何してるんだ?
同じレストランに居るっていうのに。
俺は強制的に電話を切り、席に向かった。
『じぃ!』
深雪が困った顔をしながら沙梨の口を閉ざした。
俺は沙梨の隣に座り、
『沙梨はレディーだもんな』と、軽く頭を撫でた。
すると、沙梨は黙り込みおとなしくなった。
『どうしたの?』と、深雪が沙梨の顔を覗くと、
『あ、赤くなってる!沙梨ちゃん照れてるんだ!?』
沙梨は眉を八の字にして首を振った。
『照れてない!照れてないよ!』
俺と深雪が笑った・・・
こんな・・・こんな普通の時間。
沙梨と一緒にいる時間。
本当の親子のように・・・。
この時間達を、誰が俺達から奪うというのだ?
そんな権利、誰にもない。
その時はそう強く言い聞かせた。
しかし、世間という敵は、思った以上に強靱(つよ)い。
そう、改めて実感させられるのに時間は掛からなかった。         

言葉通り、【夢】というものを容易く叶えられるのなら、
どんなに素晴らしい事か。
排除したい物を排除出来ない現実を、どう受け止めればいい?
そう考えながらの二十年という月日はあっという間だった。
これからも生きていきたいし、色々な夢がある。
深雪と幸せに暮らしたり、好きな音楽を聴き続けたり・・・
沙梨と線香花火したり・・・
様々な夢に溢れた未来がある。
沙梨の夢は・・・何かな?
沙梨の口数が極端に減った。
車の外を見て、三歳児なりに判断したのだろう。
今、まさに病院の敷地内を車は走っていた。
ルームミラーから見える沙梨の表情は恐怖に支配されていた。
深雪が沙梨の肩をぐっと握り、頭を撫でた。
泣きそうな顔で沙梨は深雪に抱き付いた。
そんな姿を見ていた俺は一つ息を吐いて言った。
『沙梨。今日は沙梨が見た事ないような大きな花火打ち上げてやるからな』
そう後ろを振り返り言った。
沙梨は突然俺に話し掛けられて一瞬体を硬直させたが、
『お家燃えちゃうよ?』と、あの笑顔で俺の言葉に対して返してきた。
『燃やしちゃえばいいよ』と、
俺の冗談に沙梨は真顔で首を振った。
『大丈夫よ沙梨ちゃん』と、運転しながら島津さんが沙梨に話し掛けた。
『お家燃やされる前に、放火未遂でこの人捕まえちゃうから』と、
にやけながら言った。
沙梨はケラケラと笑った。
『勘弁してくださいよぉ、島津さん』
『警察の目は厳しいわよ?』と、こんな会話が続いた。
敷地内の駐車場に車を停め、四人は外に出た。
物凄く、巨大な病院だった。
『すっげぇ』
俺は暫く建物を見続けていた。
わざわざ都内に足を運ぶ意味が分かった。
建物の大きさが、医学の最先端を突き進んでいるという事を比喩の形で俺に理解させた。
しかし、沙梨は違かった。
それはそれは・・・巨大な悪魔に見えたのであろう。
俺と沙梨の感情は、今まさに正反対の位置にいた。
俺も沙梨の位置に行かなければいけなかった。
『沙梨、やっぱお家は燃やすのやめるよ』
『・・・?』
『手を貸してくれ。俺はこのお家を燃やす事にしたから』
俺は建物を指差した。
『沙梨があそこに入って、もし痛い事とか、嫌な事があったら俺に言え。
すぐに沙梨を連れ出して、燃やしてやるからな』
俺は笑みを浮かべた。
沙梨も暗い表情から、段々と笑みに変わっていき、
『駄目だよ!病院は大切な所だから!』と、俺の膝に抱き付いてきた。
『はは、そうか。そうだよな。沙梨は偉いな。さっさと薬塗って貰って帰ろうな!』
誓いたい・・・約束だったんだ。
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