愛の答
十二月十八日。
AM七時四十分前。
私は今、物凄い事をしている。
言うならば、一つの映画やドラマ・・・。
全ては我が子の為にだ。
閉ざされた安藤の口に、更にガムテープを貼り付けた。
念の為、銃で脅しながらもう片方の腕も封じておいた。
これで完全にこの部屋は占拠した事になる。
最初の仕事、ラジオ体操まで十分を切った。
大丈夫・・・ここまでくれば問題ない。
十分後、警備が薄くなった隙を付いて逃げてみせる。
全てうまくいくはずだ。
両手、声を完全に封じられた安藤を見た。
情けなくなるくらい哀れに見えた。
『つまり、あんたは負け犬。
私が噛み殺した事になるわけ。
けど、感謝してるよ。ここまでうまくいくとは思わなかったし』
安藤が私を睨んできた。
無性に腹が立ったが、これから受ける安藤の罰を考えたら、
これまた情けなくて・・・。
『間違いなく、あんた終わりだね。
公務員でも私と同じように、届を突き出されるわ。
そして、突き出されたままあんたはそれを書いて・・・The End』
ラジオ体操まであと五分。
今はただ、誰もこの部屋に入ってこない事をひたすら祈るばかり。

十二月十八日。
AM七時四十八分。
ラジオ体操まで残り二分。
私の頭の中で作り上げた展開同様、この部屋に警備の者が来る事はなかった。
同時に、先程安藤が発言した事が私の味方になってる事に気付いた。
『皮肉ね安藤。
毎日決まった時間にラジオ体操に出席していれば、
今頃誰かあんたの存在に気付いてもおかしくなかったわ。
遅刻常習犯というのが裏目に出たわね』
残り一分を過ぎた時、そう話しながら安藤を見た。
『!あ、あんた・・・何して!?こいつっ!』
ジリリリ!耳を劈く高音が響き渡る。
所内全体に警報が鳴り響いた。
『こいつ!最後の最後まで馬鹿にして!』
安藤は自由を残された両足で、器用に机の裏に設置された警報ベルを鳴らしたのだった。
本来このベルは、警察が留置場に監禁した容疑者から身を守る為の物だった。まさに迂闊。
ラジオ体操まで残り三十秒を切った時、辺りが騒がしくなってきた。
安藤に制裁を考えたが、それどころではないと冷静になり、
慌てて留置場を出た。
まだここまでは誰も辿り着いてはいなかった。
私は、犯人を追い掛ける以上に早く走った。
留置場を出て、廊下を一気に走り去る。
T字路にぶつかり、ふと背後を振り返ると・・・
『・・・まずいなぁ』
ドクン!ドクン!
心臓に鈍い痛みが走った。
鼓動が痛い程跳躍している。
私が逮捕してきた犯人達を申し訳なく思った。
追われるって・・・物凄い恐怖なんだ。

十二月十八日。
AM・・・七時○○分。
その日、ラジオ体操の音楽だけが一人で仕事を始めていた。
馬鹿ね。
君の音楽に乗せて体操している奴なんて居ないよ。
皆、私に夢中なんだ。
えらい・・・迷惑ですけどね。
色々な思想が頭を過った。
どれもこれもが、今の私には役に立ちそうもなかった。
次のT字路。
どっちに曲がれば捕まらない!?
どっちに曲がっても捕まらない!?
それとも・・・T字路を右折。
五歩程足を進ませた後、反対側から向かってくる元部下や上司が、
私の視界に入る。
考えるまでもなく、振り返る。
ドクン!ドクン!
反対側からも向かってくる。
私が追い掛けてきた犯人達に問う。
貴方達なら・・・。どう逃げるの?
下手すれば死刑覚悟で逃げた犯人。
家族の為に捕まるわけにはいかなかった犯人。
どんな些細な罪でも捕まりたくなかった犯人。
皆、こうするに決まってる。
私が現在位置している場所は二階。
そう、つまり・・・
ガラガラ!と、勢い良く窓を開けた。
勢いのまま右足を窓枠に乗せた。
朝の風が私を冷やした。
太陽が、建物の高さを影として印した。
ここは本当に二階かと疑った。
高い。
簡単な心理の一つだった。
日常生活を暮らしている、平凡な私にとって、
二階という高さは想像を越えた高さがあった。
もし着地の際失敗(しくじ)ったら脱獄の計画は全て崩れる。
三方から向かってくる正義の使者達。
ほぼ同じ距離に見えた。
この廊下を使っての逃げ道は・・・ない。
しかし・・・
窓枠に乗せていた右足が脳の伝達を私に通さないで勝手に降ろした。
両足が廊下に着いた今、捕まるのは目に見えていた。
正義の手が私に迫れば迫る程・・・
脱走犯達の気持ちが分かってきた。
悪い事は承知で逃げている。
その為の犠牲が出てくるのは当然だ。
これ以上、あの子を放っておく事なんて出来ない。
今、飛ばなければ私はこの時この瞬間を一生後悔するに決まっている。
もう、後悔はしたくないよ・・・。
だから、私は飛んだんだ。
< 42 / 56 >

この作品をシェア

pagetop