愛の答
十二月十八日。
AM十時三十分過ぎ。
前方の景色が滲んで見えた。
涙が止まらなかった。
ここ一年間の記憶を鮮明に辿った。
我が子を捨てた事実。
他の夫婦に育児を任せた事実。
その夫婦の夫を自らの手で逮捕した事実。
人間として、クズ以下。
最早ゴミにも見下される。
そんな私・・・。
なんて馬鹿だったんだろう。
看板がぼやけて見えない。
私は右手の甲で涙を拭い、改めて看板を見た。
『・・・ここだ』
看板には、私が求め向かっていた養護施設名が標されていた。
車を駐車場に停め、一つ深呼吸をした。
暫く、施設の入り口を見ていた。
ここに、あの子は居ない。
分かっているのに、胸が張り裂けそうになった。
この、複雑な感情の正体は・・・?
あの子が居たとしても、あの子にとって私の存在は警察官。
自分の母親だという事も知らない。
急に抱き付かれたら嫌がるだろう。
いざ再会の時、どのように接しようか・・・。
『・・・!』
違う。
私は頭を左右に強く振った。
違うのだ。
話が逸れてる。
『ここに、愛は居ないんだから』
そんな事考えたって仕方ないんだ。
何より、今はあの子の安否を確かめなければ。
バン!と車のドアを閉め、再び深呼吸をした。
施設に近付けば近付く程、子供達の声が聞こえてきた。
私の胸に・・・鈍い痛みが走った。
ここで何も知らないで遊ぶ子供達と私は、何の接点もない。
それでも、ここで遊ぶ子供達全てに申し訳ない気持ちになった。
それは、自然と沸き上がってきた悲しみ。
【私のような親】が居るが為に・・・。
施設の入り口付近で足を止めた。
膨れ上がる、子供達への謝罪の心が形に出た。
涙が止まらない。
心音が倍に。
頭の中に走る激痛。
押さえ付けられる胸元。
私は思わずむせ返ってしまった。
何回も何回も咳を繰り返した。
その度に、全身に激痛が走った。
ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。
発狂する一歩手前に居た。
私は謝罪の念を繰り返す事で発狂を抑えた。
最早、誰に謝っているのかさえ分からなくなっていた。
思わず地面に膝を付いた。
顔を両手で覆い、小さく丸まった。
声を殺して・・・泣いた。
もう、助けの声はいらない。
愛と、この子達のこれからの運命が幸せであればいい。
ただ、それだけを願った。
しかし、私に対して救いの手が現れるまでの時間は、そう掛からなかった。
『どこか痛いの?』我に返る事が出来た。

十二月十八日。
AM十時四十分。
私の前に現れたその女の子は、不安そうな表情で私を見ていた。
『大丈夫?どこか痛いの?』
私の頬に小さな手が触れた。
その手があまりにも温かった。
幾つものスパイスが私の頬に付着したかのような・・・
とても優しい刺激のスパイス。
『う、ううん、平気よ。ごめんなさい』
私はその子の手を、私の手で覆った。
『!・・・』
先程感じたスパイスが、この子に降り掛かっている悪魔だったとは、
この時は知る由もなかった。
『あなたこそ平気?熱があるんじゃないの?』
その子の手が、異常に熱を持っていたのだ。
『二千翔(にちか)ちゃん!駄目でしょう!』
養護施設の職員が、こちらに向けて声を上げた。
『先生!あのね、この人が、苦しそうなの』
二千翔と呼ばれた女の子が、向かってきた職員に言った。
『今日はお日様が出ている日よ?』
『白の季節だもん。平気』
『駄目よ!また痛いお薬塗られちゃうよ?』
『・・・』
二千翔は眉を若干八の字にさせ、大きな瞳を潤ませた。
『ほら、中に入ってなさい』
二千翔は何も言わず建物の中に入っていった。
そして、ようやく職員と私の目が合った。
『すみませんでした。当施設に何かご用でしょうか?』
『・・・あの、白の季節って何ですか?』
私の質問に対し、しばらく目を真ん丸にさせる職員。
やがて・・・
『あぁ、あの子が言っていた事ですね?白の季節というのは、冬の事です。
あの子の両親が教えたんだと思いますけど。
冬が白で、春がピンク。夏が赤で、秋が茶と』
『そうなんですか。因みにその両親は?』
職員は一つ呼吸をしてから、軽く首を横に振った。
『育児放棄ですよ。一切、連絡も取れない状態です』
『何故?あんなに可愛い子を』
『事実、あの子は捨てられていた身なので、両親が育児放棄をした理由は分かりません。しかし、凡その理由は分かってます』
『?』
『あの子・・・二千翔ちゃんは、現代の医学では解明されていない病を背負った子なんです』

ドクン!・・・一度、心の臓器が停止した。
勿論、すぐに動き出した。
動揺を隠し切れない。
辺りを伺う。
目の前に居る女は、私の事を既にニュースか何かで知っている!?
捕まって・・・
『あの・・・』
たまるか・・・
『どうしました?』
こんな所で!
『・・・ご用件がなければ、私は職務に戻るので』
・・・え?
『いや、あの・・・』
私の事、私が罪人である事を知らない様子の職員。
たまたま、二千翔という子が愛と似たような境遇にいただけ。
それにしても偶然過ぎる。
いや、もしかしたら私・・・そして二千翔の両親のように、
病を理由にして育児放棄をする親が稀少ではないのかもしれないと思った。
『・・・あの、実は私警察の者でして』
『え!?』
『幼児の、捜索願いを出されていて』
『・・・あぁ!なるほど!あの子の』
謎が解けたかのような顔をしてみせる職員。
全ての謎を解かれる事は許されないこの状況で・・・。
『あの子と言うと?』
『沙梨ちゃんでしょう?』
『!』
ようやく、完全に我に返る事が出来たような気がした。
『そうです!その子の情報を詳しく教えてほしいのです!』
『勿論、協力させて頂きます。あの子の行方が分からなくなったのも、
私達の責任ですから』
『是非お願い致します』
警察の汚さが裏目に出た瞬間だった。
育児放棄発覚の地点でニュースを流せば、この担当者も私の存在を知っていただろう。
批判を浴びるのを恐れた警察は私の罪を、世間体に出さなかった。
今朝、私の脱走劇によりマスコミは食らい付いたわけだが、
あくまで今朝の話。
まだそこまで世間に浸透していない。
しかし、確実に浸透化はしていく。
完全に浸透化される前に、あの子をこの手で抱き締めなければ・・・。
『沙梨ちゃんがやってきた日や、居なくなってしまった日。
分かる限りの情報を今集めてきますので、どうか中にいらしてください』
『あ、すみません』
誘導されるまま、施設の中を歩いていった。
養護施設という場所に入るのは初めてだったが、
印象的には保育園や幼稚園と然程変わらなかった。
ただ、そこに入るまでの過程の差異。
そこには、保育園や幼稚園とは比較にならない、悲しみの格差が存在した。
すれ違う元気一杯の子供達。
ねぇ、君は幸せ?
貴方のお父さんとお母さんは?
貴方達は何も悪くないのよ。
腐敗し切った、大人達の脳。
また、涙が出た・・・。
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