愛の答
風が、窓の隙間から吹き抜けた。
この風の存在がなければ、私は自分が泣いている事に気付かなかったと思う。風が、涙を冷却し続けた。
『奇妙な力を授かってしまった二千翔は、唯一その青年に愛され死にました。その後、青年は誰にも確認されないまま、いつの間にかその地を去っていました。村人達が、憎くて仕方がなかったはずでしょう。
その青年の腕力があれば物騒な話、村人達に復讐も可能だったわけです』
『村人は?刑事処分に課せられたのですよね?』
職員はゆっくりと頷いた。
『二千翔が死亡した翌日、事件に関わった村人全てが自首しました。
村人の半分以上が関わっていたとの事です。
そして、その事件から間もなく、村人の一人であった男性が
病院に訪れたそうです。
男性は事件には直接関わっていませんでしたが、制止出来なかった自分に強く責任を感じていました。
その男性は事情を説明し、二千翔の遺体を受け取りました。
【静かな所に寝かせてくれ】という、青年の言った言葉も同時に。
男性は、村にある小さな神社に二千翔を埋めたそうです。
村全体の行為を後悔していたのでしょう。
男性は毎日神社に通ったそうです。
やがて、村に残った住人全員が月に一度、必ず神社に集まるようになったそうです。
【神の社に眠る女神】そう、二千翔は呼ばれるようになりました。
都合のいい話と言えばそれまでですが、二千翔はほんの少しだけ報われたと思います。
自分が愛した故郷の人達に愛されるようになったのですから。
それから間もなく、村の人口が一人増えました。
つまり、赤子が生まれたのです。
赤子の生命を誕生させた夫婦が村人達に相談を持ちかけたそうです。
【同じ過ちを繰り返さぬよう、私達の子供を二千翔の生まれ変わりとして思ってくれないか?】と。
村人達は当然のように頷き、新たな生命には二千翔の名前が受け継がれたそうです。
つまり、その夫婦の子供が女神の生まれ変わりです』
『と言う事は、その子供というのが』
『はい。あの子です。二千翔が誕生して間もなく、夫婦はある事情のせいでその村を引っ越す事になったそうです。
勿論、女神の生まれ変わりである子との別れの時がきた村人達は悲しんだそうです。夫婦は言いました。
【この村で起きた事を、決して忘れません。この子は永遠にあの子の生まれ変わりとして私達が責任を持って、育てていきます】』
『・・・』
『約束は破られました』
職員が悲しそうな表情を強めた。
夫婦の約束は、破られた・・・。
『二千翔ちゃんは、この施設の近くにある公園に捨てられていました。
一枚の手紙と共に』
【この子は、女神の生まれ変わりです。
漢数字、二、千、飛翔の翔と書き二千翔(にちか)、この子の名前です。
女神を育てる、私達夫婦には荷が重すぎました。
どうか、この子を立派な子に育ててください。
私達は、〇〇県○○村の人達の期待を裏切りました。
二千翔を、太陽の下に出さないで下さい。
ここから連れていく時も、このまま毛布に包んであげてください。
XP。
この子は生まれながら、重度の病を抱えていました。
(症状詳細省略)
最後に、お願いです。
どうかこの子を立派な子に。
そして、私達の存在を絶対に語らないでください。
神は私達に試練を与え下さった。
私達は神から逃げた。
二千翔、臆病な私達を許してとは言わない。
どうかせめて神に打ち勝って】
『手紙に記載されていた、〇〇県○○村。
私はその村の歴史を調べました。
その際、この事件を知る事が出来たのです』
『・・・』
私は、何一つ言葉を出せないでいた。
通常なら、どんな理由であれ二千翔を捨てた両親に対しての怒りが芽生えるのだろうが・・・
私も、その両親と全く変わらないのだ。
この複雑な心境。
『あ、ちょっといいですか?』
他の職員が、私の目の前に居た職員を呼び出した。
『急用?今から、沙梨ちゃんの事について話そうと思ってるんだけど』
『え?』
『あ、こちら警察官の・・・えっと』
『あ、島津と申します』
『沙梨ちゃんの行方が分からないままでしょ?
島津さんの捜索の手伝いをしなければいけないから』
『急用というか・・・』
『違うなら後にしてもらえる?』
『あ、あの・・・』
二人の職員の会話に割り込んだ。
『そちらの用を済ませてからでも私は構いません』
『・・・いえ、そういうわけにも・・・』
私の顔を窺いながら職員が続けた。
『いいんですか?』
『えぇ』
『すみません。すぐに戻りますので』
二人同時に頭を下げた。
職員二人が部屋を出ていった。
『・・・』
一人残された部屋の中で無意識に呟いた。
『何、やってんだろ・・・私』
我が子が・・・一分、一秒でも早く救いの手を待っているというのに。
何故か、一人になりたかった。
あんなに優しい笑顔を見せてくれた二千翔に、
そんな重度の病と、過去があるとは思わなかった。
皆、一人一人歯を食い縛って生きている。
本来、人生に余裕なんて物はないんだ。
常に死が付きまとっているわけだから。
私はハンカチで目元を覆い、声を殺しながら涙を流し続けた。
いつの間にか、風は止んでいた。
涙が自然に枯れた頃、我が子、愛の顔が私の脳裏に浮かんできた。
外で遊ぶ幼子達。
これからも、その笑顔を絶やさないで。
貴方達の微笑みが、私の生きる気力となっているから。
十二月十八日。
正午。
日のお化けは今まさに、フルパワーで呪(まじな)いをXP患者に振り掛けていた。
こんな中、XP患者である二千翔が出ていけば、
全身に重度の火傷を負う事になるだろう。
嘘みたいな話だ。
生命の源である太陽の光を受けられないなんて。
それでも事実は決して湾曲しない。
再び、涙腺が涙を作り出した。
『すみません。お待たせしました』
職員が慌ててやってきた。
『あ、いえ、平気です』
『・・・美しい方を泣かせるような話をしてすみません』
『え?』
涙で腫れ上がった私の顔を見て言った職員の言葉だった。
『そんな、お世辞はやめてください』
二人で少し笑いあった後、職員が席に座った。
『まずは、沙梨ちゃんがこの施設に入ってきた頃の話からですね』
『あの、ちなみにあの子の事は?』
『えぇ。勿論存じております。医学史初の病を抱えてしまった事ですよね?』『あ、その辺も我々警察から連絡が入っていたのですか』
『はい。正直、悩みましたよね。症状についてもある程度聞きましたが、
そんな重度の病を持つ子供のお世話ですからね。
沙梨ちゃんの両親も、さぞかし悩んだ事でしょう』
胸が痛い。
『何でも、発見したのは若い夫婦だったとか?』
『そうですね。その後、私が沙梨ちゃんの担当捜索員に抜擢され、捜索を開始していたのですが』
『その若い夫婦では、重度の病を持つ沙梨ちゃんの育児は荷が重いと考え、この施設に』
私は一度頷いた。
胸が、痛い。
胸が・・・。
『まぁ、そうですねぇ。言い方が悪いですけど、あの子は捨てられた子供ですからね。今更、ご両親の気持ちが変わったとしても、心の底に負ったあの子の傷が消える事はないですよ・・・絶対に』
『そう・・・ですね』
『あの子は・・・沙梨ちゃんは、二千翔ちゃんととても仲が良かったんです』『そうだったのですか?』
『えぇ。二人で居るところをよく見掛けました。
どちらかといえば、二千翔ちゃんがお姉さん的な感じで、
沙梨ちゃんを守っているようにも見えました。
突然沙梨ちゃんが居なくなってしまい、二千翔ちゃんの心は痛んでいると思います』
『そうですね』
不穏な空気なんて、その時はまるで読めなかった。
神経が麻痺していたのか?
それとも単に私が鈍いだけ?
『沙梨ちゃんも、二千翔ちゃんも・・・ここにいる子供達全員。
未来に確実な光は見えていません。
先程も言いましたが、捨てられたからです。
それほど、親の愛は大切なのです』
『・・・』
『私は、どんな理由であれ我が子を捨てた親を許せない。
それは、単にここで働いているからではなく、一人の人間として。
こんな施設が必要のない世界。まさに理想ですよね』
一瞬、職員がとても悲しそうな表情を見せた。
本当に子供達を愛しているのだと悟った。
不穏な空気。
明らかに違ったであろう、その部屋の空間。
鈍感な私は何一つ気付かなかった。
受けるべき罰から逃れているからだ。
少しでも安泰出来る空間を探していたからだ。
それまで穏やかだった職員が突然私の目を睨み付けた瞬間でさえ、
私の心は危機感を失っていた。
『だから私は、貴方を絶対に許せない!』
今、気付いた。
この風の存在がなければ、私は自分が泣いている事に気付かなかったと思う。風が、涙を冷却し続けた。
『奇妙な力を授かってしまった二千翔は、唯一その青年に愛され死にました。その後、青年は誰にも確認されないまま、いつの間にかその地を去っていました。村人達が、憎くて仕方がなかったはずでしょう。
その青年の腕力があれば物騒な話、村人達に復讐も可能だったわけです』
『村人は?刑事処分に課せられたのですよね?』
職員はゆっくりと頷いた。
『二千翔が死亡した翌日、事件に関わった村人全てが自首しました。
村人の半分以上が関わっていたとの事です。
そして、その事件から間もなく、村人の一人であった男性が
病院に訪れたそうです。
男性は事件には直接関わっていませんでしたが、制止出来なかった自分に強く責任を感じていました。
その男性は事情を説明し、二千翔の遺体を受け取りました。
【静かな所に寝かせてくれ】という、青年の言った言葉も同時に。
男性は、村にある小さな神社に二千翔を埋めたそうです。
村全体の行為を後悔していたのでしょう。
男性は毎日神社に通ったそうです。
やがて、村に残った住人全員が月に一度、必ず神社に集まるようになったそうです。
【神の社に眠る女神】そう、二千翔は呼ばれるようになりました。
都合のいい話と言えばそれまでですが、二千翔はほんの少しだけ報われたと思います。
自分が愛した故郷の人達に愛されるようになったのですから。
それから間もなく、村の人口が一人増えました。
つまり、赤子が生まれたのです。
赤子の生命を誕生させた夫婦が村人達に相談を持ちかけたそうです。
【同じ過ちを繰り返さぬよう、私達の子供を二千翔の生まれ変わりとして思ってくれないか?】と。
村人達は当然のように頷き、新たな生命には二千翔の名前が受け継がれたそうです。
つまり、その夫婦の子供が女神の生まれ変わりです』
『と言う事は、その子供というのが』
『はい。あの子です。二千翔が誕生して間もなく、夫婦はある事情のせいでその村を引っ越す事になったそうです。
勿論、女神の生まれ変わりである子との別れの時がきた村人達は悲しんだそうです。夫婦は言いました。
【この村で起きた事を、決して忘れません。この子は永遠にあの子の生まれ変わりとして私達が責任を持って、育てていきます】』
『・・・』
『約束は破られました』
職員が悲しそうな表情を強めた。
夫婦の約束は、破られた・・・。
『二千翔ちゃんは、この施設の近くにある公園に捨てられていました。
一枚の手紙と共に』
【この子は、女神の生まれ変わりです。
漢数字、二、千、飛翔の翔と書き二千翔(にちか)、この子の名前です。
女神を育てる、私達夫婦には荷が重すぎました。
どうか、この子を立派な子に育ててください。
私達は、〇〇県○○村の人達の期待を裏切りました。
二千翔を、太陽の下に出さないで下さい。
ここから連れていく時も、このまま毛布に包んであげてください。
XP。
この子は生まれながら、重度の病を抱えていました。
(症状詳細省略)
最後に、お願いです。
どうかこの子を立派な子に。
そして、私達の存在を絶対に語らないでください。
神は私達に試練を与え下さった。
私達は神から逃げた。
二千翔、臆病な私達を許してとは言わない。
どうかせめて神に打ち勝って】
『手紙に記載されていた、〇〇県○○村。
私はその村の歴史を調べました。
その際、この事件を知る事が出来たのです』
『・・・』
私は、何一つ言葉を出せないでいた。
通常なら、どんな理由であれ二千翔を捨てた両親に対しての怒りが芽生えるのだろうが・・・
私も、その両親と全く変わらないのだ。
この複雑な心境。
『あ、ちょっといいですか?』
他の職員が、私の目の前に居た職員を呼び出した。
『急用?今から、沙梨ちゃんの事について話そうと思ってるんだけど』
『え?』
『あ、こちら警察官の・・・えっと』
『あ、島津と申します』
『沙梨ちゃんの行方が分からないままでしょ?
島津さんの捜索の手伝いをしなければいけないから』
『急用というか・・・』
『違うなら後にしてもらえる?』
『あ、あの・・・』
二人の職員の会話に割り込んだ。
『そちらの用を済ませてからでも私は構いません』
『・・・いえ、そういうわけにも・・・』
私の顔を窺いながら職員が続けた。
『いいんですか?』
『えぇ』
『すみません。すぐに戻りますので』
二人同時に頭を下げた。
職員二人が部屋を出ていった。
『・・・』
一人残された部屋の中で無意識に呟いた。
『何、やってんだろ・・・私』
我が子が・・・一分、一秒でも早く救いの手を待っているというのに。
何故か、一人になりたかった。
あんなに優しい笑顔を見せてくれた二千翔に、
そんな重度の病と、過去があるとは思わなかった。
皆、一人一人歯を食い縛って生きている。
本来、人生に余裕なんて物はないんだ。
常に死が付きまとっているわけだから。
私はハンカチで目元を覆い、声を殺しながら涙を流し続けた。
いつの間にか、風は止んでいた。
涙が自然に枯れた頃、我が子、愛の顔が私の脳裏に浮かんできた。
外で遊ぶ幼子達。
これからも、その笑顔を絶やさないで。
貴方達の微笑みが、私の生きる気力となっているから。
十二月十八日。
正午。
日のお化けは今まさに、フルパワーで呪(まじな)いをXP患者に振り掛けていた。
こんな中、XP患者である二千翔が出ていけば、
全身に重度の火傷を負う事になるだろう。
嘘みたいな話だ。
生命の源である太陽の光を受けられないなんて。
それでも事実は決して湾曲しない。
再び、涙腺が涙を作り出した。
『すみません。お待たせしました』
職員が慌ててやってきた。
『あ、いえ、平気です』
『・・・美しい方を泣かせるような話をしてすみません』
『え?』
涙で腫れ上がった私の顔を見て言った職員の言葉だった。
『そんな、お世辞はやめてください』
二人で少し笑いあった後、職員が席に座った。
『まずは、沙梨ちゃんがこの施設に入ってきた頃の話からですね』
『あの、ちなみにあの子の事は?』
『えぇ。勿論存じております。医学史初の病を抱えてしまった事ですよね?』『あ、その辺も我々警察から連絡が入っていたのですか』
『はい。正直、悩みましたよね。症状についてもある程度聞きましたが、
そんな重度の病を持つ子供のお世話ですからね。
沙梨ちゃんの両親も、さぞかし悩んだ事でしょう』
胸が痛い。
『何でも、発見したのは若い夫婦だったとか?』
『そうですね。その後、私が沙梨ちゃんの担当捜索員に抜擢され、捜索を開始していたのですが』
『その若い夫婦では、重度の病を持つ沙梨ちゃんの育児は荷が重いと考え、この施設に』
私は一度頷いた。
胸が、痛い。
胸が・・・。
『まぁ、そうですねぇ。言い方が悪いですけど、あの子は捨てられた子供ですからね。今更、ご両親の気持ちが変わったとしても、心の底に負ったあの子の傷が消える事はないですよ・・・絶対に』
『そう・・・ですね』
『あの子は・・・沙梨ちゃんは、二千翔ちゃんととても仲が良かったんです』『そうだったのですか?』
『えぇ。二人で居るところをよく見掛けました。
どちらかといえば、二千翔ちゃんがお姉さん的な感じで、
沙梨ちゃんを守っているようにも見えました。
突然沙梨ちゃんが居なくなってしまい、二千翔ちゃんの心は痛んでいると思います』
『そうですね』
不穏な空気なんて、その時はまるで読めなかった。
神経が麻痺していたのか?
それとも単に私が鈍いだけ?
『沙梨ちゃんも、二千翔ちゃんも・・・ここにいる子供達全員。
未来に確実な光は見えていません。
先程も言いましたが、捨てられたからです。
それほど、親の愛は大切なのです』
『・・・』
『私は、どんな理由であれ我が子を捨てた親を許せない。
それは、単にここで働いているからではなく、一人の人間として。
こんな施設が必要のない世界。まさに理想ですよね』
一瞬、職員がとても悲しそうな表情を見せた。
本当に子供達を愛しているのだと悟った。
不穏な空気。
明らかに違ったであろう、その部屋の空間。
鈍感な私は何一つ気付かなかった。
受けるべき罰から逃れているからだ。
少しでも安泰出来る空間を探していたからだ。
それまで穏やかだった職員が突然私の目を睨み付けた瞬間でさえ、
私の心は危機感を失っていた。
『だから私は、貴方を絶対に許せない!』
今、気付いた。