愛の答
こんな寒い夜は、もう嫌。体感する感情さえ、失いたい。私は私でなくても、沙梨ちゃんを守れるから....    深雪の話    
拓が運転する車の中は、暖房が働き、暖かいはずなのだけれど、私はとても寒かった。体の心から、震えていた。拓が、【休んでろ】なんて言った。私の返答を知っていての言葉だった。命の尊さなんて、そんな深く考えたことない。況してや偽善ぶるなんて問題外。私は、率直に自分の意志を尊重しているだけ。沙梨ちゃんは....生きてる。そう、深く信じ込もうとしている自分を....。沙梨ちゃんは三歳児。施設は日立。我が家までの距離は....到底徒歩では無理。成人している人だって、体への負担は隠しきれないだろう。そんな距離を三歳児である沙梨ちゃんが?無理に決まっている。つまり、私自身わかっていた。それでもなお、可能性を信じた。『我儘言ってごめん』『別に....謝る必要はないだろう。親として当然のことだろうし』『いるかな?』『さぁな。こればっかりは....わからねぇな』拓は私に真実を伝えてきた。今更、私の様子を伺っても仕方がない。それは、お互い様だった。はっきり言って....もう沙梨ちゃんは....
冷たくなっていると思う。私ももう、そんなに夢見る年じゃない。現実を受け入れる覚悟くらい出来ている。それでもなお、私に抵抗する涙腺。この一年間で、どれ程涙を流した事だろうか....運転する拓の表情も暗い。当然。当然のことなんだけど....辛い。拓には笑っていてほしいから....。それもこれも皆、沙梨ちゃんの安否により左右される。『どうして、こんなことになっちゃったのかな』『....お前が反論するのわかってて俺は言うけど....全て俺のせいなんだ』拓が先に口止めをした。それでも私は反論してしまう。『わけわかんないよ。そんなわけないじゃん』『違う。全て....沙梨が一人彷徨っている原因は全て俺にある』『....どうしてそんな』『あの時、あの時が原因だ。俺は、沙梨の体に住む病魔を知りたくて先走った。あの時、検査なんて受けに行かなければ』『やめてよ!』『....』『わけわかんないじゃん。本当に....全然意味がわからない』『....俺は、あいつを助けないと一生後悔する』『拓だ
けのせいじゃないじゃん!』私は怒鳴りながら運転する拓を見た。拓が、崩れかけていた。数秒前に見た表情より、遥かに堕ちていた。泣きたいのに、泣けないような
....ぶつけたい怒りを、どこにもぶつけられず....悔しいのに、悔やみきれない....そんな、堕ちた表情....。『出会わなければよかった』....そう、拓が言った。同時に、拓が泣き出した。拓のその一言が、私には受け止められなかった。あまりにも....酷く、過現実的だったから。拓が、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。私はどうすることも出来ず、俯いていた。拓は、責任を全て自分の物にしていた。私には一切弱みを見せなかったこの人が、初めて私に弱い部分を曝け出した瞬間だった。外はもう、漆黒の闇で包まれていた....。            理想とは、夢とは異なる。赤い華が、白と呼ばれぬ事のように....俺の理想は、全て破壊されたんだ....。    拓也の話    
十二月十九日。PM....覚えていない。もう、あの時の記憶は覚えていない。とても曖昧な世界にいたから。早い話が、現実から逃げていたから....だから、時間なんて覚えていない....俺は完全に崩れた。今はただ、自動車という機械を操作するロボット。感情もない。すなわち、深雪に対し、何事もストレートに答えた。つまり、俺が考えていること、一語一句全て....沙梨が彷徨っている原因は全て俺のせいだ。これは、間違いないことなんだ....たまにすれ違う対向車のライトが俺の目を刺激した。これがなければ俺は運転さえ出来なかったと思う。どうにか、どうにか我が家までの帰路を....。ロボットでも、無我夢中になれるらしく、気付けば見たことのある風景を走っていた。「あぁ....もう、こんな所まできていたのか」ここでようやく時計を見た。PM八時を過ぎていた。本当なら今頃、沙梨と口喧嘩をしながら夕御飯を食べている頃だろう。『沙梨!何度言ったらわかるんだよ!箸の使い方くらい覚えろよな!』『どうしてお箸使
わなきゃいけないの!?お箸って何!?スプーンがあるじゃん!』『いちいち文句言うな!..
あ!』『あぁ!ママ!今じぃがご飯落とした!』『うるせぇ!いちいちチクるな!』『じぃだってお箸ちゃんと使えないじゃん!』....とかね。今日中だ。今日中にお前を見つける。そしてまず、箸の使い方を教えて....もらおうな。二人で、深雪に教えてもらおう。その前に、お前のその小さな体を、一度抱き締めさせてくれ....そこで初めて、俺は父親になれるような気がするんだ。だから....。            十二月十九日。PM八時四十分。体の奥の奥。生命の活力源となる心の臓器。循環された血液が体を巡り、帰還。そしてまた送り出される。その際に膨れ上がる塊は、他の臓器、血液、脂肪、筋肉、骨を押し上げ、胸腔と腹腔の境にある横隔膜を経て、最終的に胸部中央に膨れ上がる。約、零.七秒間に一回ずつ。確実に押し上げる。この日、この時の鼓動を、俺は決して忘れない....。十二月十九日。PM八時三十分現在の俺は、心の臓器の働きなんて考えもしない、ただのロボット。会話もなく、ひたすら我が家までの道程を運転する
ロボット。昔から立てられている看板が目に入る。【八郷】の文字。あと五、六分ってとこだろう....
自然に、心の臓器が素早く働き始めた。沙梨はいない。この距離を、沙梨が歩いてこられるはずがない。わかっていても....【心臓】は、活発に働き始めた....何十分ぶりかの会話。『とりあえず、深雪は家で休んでろよ』深雪は当然のように首を振った。これじゃ、何の為に帰っているのかわからない。それも当然。いるはずもない沙梨を迎えに行っているのだから。会話と行動に矛盾が出てもおかしくはなかった....。家の前の一本道にある信号に捕まった。自然とブレーキを踏む。信号は赤のまま。歩行者専用の信号機も点滅しない。このまま永遠に俺達を不動させる気か?家はもうすぐ....いるはずもない我が子....エンジン音と暗闇のRequiem...。
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