愛の答
『おぉい、小野さん?』
『・・・』
『完全アウト?』
『・・・』
『完全試合?』
『・・・うざい』
トイレの壁を通してテルとの会話。
『てか、小野さん飲み過ぎ。何杯飲んだよ?代行使っても寝ちゃうだろ?
車で寝てけよな?』
『分かってるよ・・・あぁ、気持ち悪りぃ。一斗は?』
『分かんない。女子便入ってから出てこない』
『はぁ?・・・マジ馬鹿。救えないな』
自棄酒。まさに自棄酒だった。
一杯目、二杯目と、嘘のようにビールが喉を通っていった。
そして御覧の有様・・・
『気持ち悪ぃ。テル・・・テル?・・・んだよ、戻っちまったのか』
トイレの水を流し、軽く嗽を済ませた。千鳥足の両足に全神経を集中させて
歩き出す。トイレのドアを開けた瞬間、
ドサァ!と、何かが女子便から倒れてきた。
大方予想通りの出来事だったので、ため息しか出なかった。
『ほら、しっかりしろよ一斗。俺もふらふらなんだから・・・ん?
お前この跡は・・・』
一斗の頬に綺麗な紅葉が出来ていた。
『お前ひっ叩かれたのか?』笑いが止まらなかった。
時刻はAM三時を過ぎていて、店はラストオーダーの時間になっていた。
『あ、小野さん!てか、一斗は何だよ!?だらしなすぎだろ!?
会計済ましといたから』
『あれ、奢り?』
『馬鹿たれ』と、俺に財布を渡してきた。
『一人五千円、ちゃんと抜いておいたわ!』
『しっかりしてるよな・・・そういうとこだけは』
三人でふらふらと店を出ていく。目の前を走る国道も静寂と化していた。
酔った三人は寒い寒いと何度も口にしながら、近くの書店まで歩いた。
『あぁ、眠い。じゃ、ここで解散だな』と、一斗を車に乗せながらテルに言った。
『そうだね。あぁ・・・マジ寒い』
手を擦り合わせながら、白い息を吐くテル。
『今日は付き合わせて悪かったな。んじゃ、またそのうち誘うよ』
テルと別れる。一斗の車を閉めて俺も我が車に向かった。

書店屋の駐車場裏に駐車した車に乗り込み、エンジンを掛けようとしたが、
手首を捻るのを止めた。俺が購入したポンコツ車は、前オーナーの愛が詰まっていた。
つまり改造されていて、マフラー音も通常の音とは比較にならないくらい大きかった。
そんな車を好き好んで買った自分を呪いながら、車の椅子を倒して横になる。
『ん・・・んん・・』
あれだけ飲んでいても体は正直で・・・車内とはいえ、室温は五度以下であろう。寝付けるわけもなく、何度も何度も寝返りを打った。
寝返りを打つ度に、肘や膝を車内のどこかしらと接触させ続けた。
明日起きた頃には、全身青タンだらけになっているだろう。
『・・・』
体内に潜むアルコール、外気から突き刺さる冷気。
熱気と冷気という相反する二つの存在が俺から睡眠欲を徐々に奪っていく。
五分後には、すっかり頭が冴えてしまった。
煙草でも吸おうかな・・・そう考え、狭い車内で起き上がった。
すると・・・
『・・・馬鹿だな』
目の前を赤いランプがチカチカとしていた。
そう、警察だ。誰かが飲酒運転で捕まったのだろう。
道路を遮り、検問している姿が見て取れた。
決して罪を犯しているわけではないのに、警戒のアンテナが頭上に張った。
煙草を元に戻し、再び横になる。
横になって数秒の事だった。
遠くの方で、コンコンと音が聞こえた。
『・・・』
再びコンコンと音が聞こえたが、今度はかなり近場で聞こえた。
『ん?』
『もしもぉし、起きてくれるかなぁ!?』
車の窓をノックされ起こされた。
『んだよマジ・・・』
嫌々起き上がる。
『・・・え?』
『警察です。ちょっと開けてくれる?悪いね寝てるところ』
紛れもなく警察だった。
『え?何すか?飲みましたけど運転はこの通り』
『いやいや、それは分かっているよ。問題なのは君の友達なんだ』
『え・・・テル?』
『テル?あの青年の名前かな?』
俺は目をきょとんとさせながら車から出て、警察についていった。
案の定・・・
『・・・馬鹿』自分の口内に響く程度の声で発した。
場所は国道を挟んだ向かいの駐車場だった。つまり、俺と深雪が沙梨と
出会った駐車場だ。
駐車場に座り込むテルが三人の警察に囲まれていた。
『飲んでないっすよ!俺、俺、飲んでないっすよぉ!』と、喚いている。
警察が言う。
『いやねぇ、君の友達、ちょっと飲み過ぎたみたいで。
自分の名前も言わないどころか、この有様でね。更に免許証不携帯ときた』
『はぁ・・・』
こんなに暴れる程酔ってないはず・・・。つまり・・・
パニくってるのだ。酔い過ぎたふりをしてこの場を欺こうと。
そりゃ無理な話だ。
『君、悪いけど代わりにこの青年の名前等の情報教えてくれないかな?』
『・・・自分は・・・』言葉を切った。
数秒間沈黙した後に、
『いや、俺も今日知り合ったばかりで。あの飲み屋で仲良くなったんすけど。とりあえず名前はテル・・・と、呼んでたんで、テルじゃないかと』
『本当かい?庇おうとする気持ちはわかるけど』
『え・・・すんません。マジなんですよね。
名前くらいしかわからないっすね』
『・・・そうか』
完全に警察は疑っていた。苦い表情をしながら渋々こう言った。
『分かりました。とりあえず君の連絡先を教えてほしいから、あのパトカーに乗って連絡先を明記してくれないか?』
『う、うっす』
ここは素直に従った方がいいだろうな。
こめかみをかきながらパトカーに乗り込む。
『あ、あの連絡先を』
『はい、じゃ、とりあえずこの紙の、黒枠の部分全て書いてください』
そう言って助手席からバインダーを渡してきた警官は女性だった。
『あ、はい』
言われた通りに、名前、住所、自宅の電話番号等を書いた。
警察沙汰になると、善悪問わずこの類の情報を書かされる。
何度書いてみても不愉快だ。
『はい、書き終わりました』
『はい、どうもです。大変ですねお友達』
『そうですねぇ。免許は勿論・・・』
『確実にね。免許どころか、酒酔い運転ですから、懲役五年以下、若しくは百万円以下の罰金になりますね。君は絶対にやってはいけませんよ?えっと・・・小野君』
警察が俺が書いた書類から名前を見て言った。
『分かってますよ。だから俺はこの寒い中、車で寝てたんすから。
もう車に戻ってもいいっすか?』
『・・・』
『あの・・・』
パラパラと、警官は自分の手帳を捲り始めてしまい、
俺の話が届いていない様子。
『あのぉ・・・』
『やっぱり!』
『え?』
突然、女警官が声を上げた。
『な、何すか?前科でもあります?そんなはずは・・・』
『君、あの家の息子さんだね?あ、君が発見者だね?』
『・・・え?あの、何の話で?』
警官は続けて手帳を捲り、
『そうそう・・・沙梨ちゃんだね』
『え!?』
驚いた・・・なぜこの警官が?
『あ!』
そういえば、担当の警官が付いたと言っていた。
三十近い女警官。
『あぁあぁ、なるほど。あなたが担当の』
『本当奇遇ですね?といっても、この辺の事件、問題を取り締まるのは私達の管轄だから、奇遇というまでもないかもね』
『あ、あの、よろしくお願いします』
『ビックリだよね?まだ二十代前半でしょ?突如三歳児のパパだもんね』
『そ・・・そうなんすよね、はは』と、苦笑い。
『こういうケースって、すぐに見つかるもんなんですか?』
『んん・・・これもね、本当時と場合によるの。あの子の両親・・・考えを直してくれればいいのだけれど』
『そうっすねぇ』
『可愛そう・・・本当に』
その女警官は本当に悲しそうな表情を見せた。
『あの、とりあえず期間は分からないとはいえ、お世話になります』
『はい。よろしくね。私は島津と申します。小野 拓也君ね』

車のドアを閉めエンジンを掛ける。
限界だった。寒い。寒過ぎる。
少しだけ近所に迷惑を掛けるが、周辺の駐車場で一人の青年が車内で凍死していたというニュースが流れるよりいいだろうと、完全なる自己都合の元、体を温めた。
色々な事が起き過ぎて、感覚的にはとっくに酔いは冷めていたが、
俺の車がなくなっていると分かれば、島津さんを通して俺の家に警察がきてしまう。
迂闊に帰れない。帰れない?
思い出した・・・。
深雪と喧嘩してるんだっけな・・・。
元から帰れないんだ。
大人しく寝てしまおうと椅子を倒して横になる。
エンジンを切ってから深い眠りに入るまで、然程時間を要する事はなかった。
翌日。
寝起きは最悪。酒臭いし、寒いし、頭も体も痛い。
『んん!・・・はぁぁ』
背筋を伸ばし、外に出る。
時刻は昼を過ぎていて、二月でも仄かに暖かさがあった。
一斗の車がない。俺が寝ている間に帰ったのだろう。
『っつ・・・気持ち悪』
二日酔いだ。近くに自動販売機があったので、コーヒーを買い飲み干した。
アルコールで染み付いた胃袋にキリマンの香りが充満した。
車に戻り、ふと携帯に目をやると着信履歴。
深雪の携帯から計、六件の着信がきていた。
及び、一通のメール。
【どこにいるの!?連絡ちょうだい!】みたいな感じのメール。
連絡ちょうだいって・・・何て連絡すりゃいいんだよ。
自暴自棄、自棄酒。自分自身でもそれが恥である事に気付く。
『・・・これからどうしよう』
行く宛とかそういう事じゃなく、深雪との生活。
二人の生活に少なからずの不安が過るが、大袈裟に首を振った。
俺があいつを守らないといけない・・・
大義名分を必要としているのではない。
自分自身が・・・幼稚なだけなのだ。
改めて自分の愚かさを再認識する。
自分の子供ならば別問題・・・。
産まれて、いざ育てる時に考えればいい・・・そう、考えていた。
現実は、深雪の言う通りになるだろう。
放棄までとは言わず、それに近い状態。
いつだってそうだった。
喧嘩して暫くしてから自分に非がある事に気付く。
しかし、そこでプライドが邪魔して俺は謝らない。
何も悪くない深雪が謝ってくるんだ。
いつだって・・・いつだってそうだった。
何度も経験して分かってるのに・・・今回も謝れそうにない。
何故なら、今回は事が重大。
いつものような痴話喧嘩とは内容が違う・・・濃すぎる。
『・・・あっ!』
とんでもない事に気付いた。
なぜ今まで気付かなかったのか?
深雪との喧嘩で自棄になっていたとはいえ・・・
深雪に対する謝罪を考えていたとはいえ・・・
慌てて電話をかける。
『もしもし小野ですけど』
そう、会社にだ。
本日は月曜日なり。耳にタコが出来るくらい怒鳴られた。
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