伸ばした腕のその先に
 ――如月さん。
 彼は、私のことをそう呼ぶから。私にはそれがたまらない。

 彼の声は陽くんだから。
 失ったはずの、指の間からこぼれていったはずの陽くんだったから。
 でも、彼は陽くんの声で私を他人行儀に如月さん、と呼ぶのだ。

 知らず知らずに、カップを持つ手は強張っていた。
 指は小さく小さく震えだし、慌てておいたカップは割れるかと思われるくらい危なげな音をたてた。
「ごめんなさい」
 何度目かの謝りが、こぼれ出た。
 そういいながら途端にうな垂れる私を見て、彼は少しの間を挟んだ後、
「美月」と私の名前を呼んだ。

 何かを促すには短く、一呼吸にしては長い間の後に放たれた言葉、私の下の名前。
 彼はいつの間にか私の隣に座っていて、黙って私を見つめている。
 私はどうしようもなく、彼を睨んでみる。目尻には力を入れた。何もこぼしてしまわないように。
 すると彼は、そんな私にさも当然のように口にした、
「そう呼んで欲しそうな顔してた」と。

 そして、またしても私の言葉を待つことなく言葉を続けていく。
 まるでそれは、哀れみというリキュールを寂しさという水で割ったようなそんな切ない言葉。
「ぼくに、誰を重ねているのかな、って」
「ごめんなさい、私――」

 私は彼から視線を逸らし、何とか言葉を探す。
 でも、彼はその続きを探させても、いわせてもくれなかった。
 私をそっと抱きよせて髪をなぜる。そのまま、彼を見上げるように見つけると、
 触れたことを感じさせないくらいのキスが私の思考をさらっていく。
「いいよ、大丈夫。でも、その代わりぼくのことは名前で、ショウって呼んでよ」
 今宵の宵、ちょうど今くらいの時間だね、彼はそうつけ加えた。

 そして彼は、私に促すように少しだけ腕に力を込めた。
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